第164話(99/05/21 ON AIR) | ||
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『ネバネバ』 | 作:四夜原 茂 |
扉が開く。レストランらしい。誰かが入ってくる。 | |
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男 | ごめん。待った? |
女 | 待ったわよ。 |
男 | 悪かった。FAXされて来た地図どおりに歩いてたら 海の方に出ちゃってね。 |
女 | ああ、あの地図南の方が上になってて…座ったら? |
男 | うん。 |
すわる。 | |
女 | 落ちつかない?やっぱり。 |
男 | どうして? |
女 | キョロキョロしてるし。 |
男 | まあ、少しね。 |
女 | あなたのためにテーブルは店の奥の壁ぎわ、照明も少し 暗くしてもらってるの。 |
男 | ああ。ありがとう。 |
女 | やっぱり…いつもの店の方がよかった? |
男 | いや、いい店じゃないか、ここも。 |
女 | 記念日なのにいつもどおりじゃいやだったのよ。 |
男 | ……。 |
女 | あ、ちがうのよ。そんなに考え込まないで。あなたは 知らない私だけの記念日。だから。 |
男 | ナミエ。 |
女 | なに? |
男 | この皿に乗ってるものは何なんだ? |
女 | オードブルでしょ。 |
男 | これが?オードブル? |
女 | ええ、メニューにはそうなってるわ。 |
男 | これを、このフォークで食べるんだろうか? |
女 | そうみたいね。いただきましょうよ。 |
男 | ああ。 |
皿とフォークのふれあう音。その後、ピスタチオを殻 のまま食べているような「カリカリ」という音。 |
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男 | 固いな。(口に何か入ってる) |
女 | 少し固いわね。(口に何か入ってる) |
男 | 何だろう?はじめて食べる味だ。 |
女 | ふうふ……(笑う)。 |
男 | なに? |
女 | じゃまじゃない?そのヒゲ。 |
男 | ああ。最近、伸びすぎてるかなって、思う時もあるよ。 |
女 | そっちゃえば? |
男 | …うん。 |
「カリカリ」という音。 | |
女 | やっぱり気にいってるんだ。 |
男 | まあね。(口に何か入ってる) |
女 | 食べにくそうだけど、自分のスタイルは変えたくない わけね。 |
男 | いや。スタイルじゃなくて、役に立つ時もあるし。 |
女 | ヒゲが? |
男 | ああ。暗闇でね。 |
女 | うふふふ…でも、くすぐったい時もあるわよ。 |
男 | …ああ。そういう使い方もあるかな。 |
女 | あれ以外にも使い方、あるの? |
男 | あるよ。これ、ワインかな? |
女 | そう。 |
「トクトクトク」とそそぐ音。 | |
男 | ありがとう。 |
女 | 変わった色でしょ。 |
男 | ああ、赤でも白でもない。 |
女 | かおりも変わってるわよ。どう? |
男 | うっ。 |
女 | 薬みたいな。ね。 |
男 | あんまり好きになれないかおりだ。 |
女 | はやりなのよ、薬草とかを入れたりするのが。 |
間 | |
男 | けっこう甘い。 |
女 | これは甘くても、あなたには甘くない。 |
男 | え? |
女 | あなたをつかまえるのは、思ってたより甘くないわね。 |
男 | ああ、あの話のつづき? |
女 | そう。 |
男 | 考えてるよ、ずっと。 |
女 | 考えてるけど結論は出したくないんでしょう。 |
男 | 当たり。 |
女 | もちろん、そんな自分の事をずるいやつだなんて思っ たことは一度もない。 |
男 | はい。 |
女 | いつでも逃げ出せる態勢を作ってる。 |
男 | はい。 |
女 | それって、性格? |
男 | いやDNA。 |
女 | DNA? |
男 | 遺伝じゃないかと思うんだ。 |
女 | 遺伝じゃどうしようもないわね。 |
男 | うん。オレはもちろんナミエをえらんでるんだけどね。 DNAがザワザワと耳もとでささやくんだ。「用心し ろ、用心しろ」って。 |
女 | そんなに危険な事なのかなぁ。 |
男 | オレもそう思うんだ。何を用心するんだろうてね。す るとDNAはこう言うんだ。「飛べなくなるかもしれ ないよ」 |
女 | なに、それ? |
男 | 「飛べなくなったらおしまいだよ」って |
女 | どういう意味?あなた、いつも飛んでるの? |
男 | たまに。 |
女 | どんなふうに?ジェットエンジンか何かで? |
男 | いや、背中に生えてる羽根でパタパタ飛ぶんだよ。 |
女 | …わかったわよ。何かの比喩ね。 |
男 | でもオレは飛びたいわけじゃないんだよ。うす暗くて、 あたたかい店で、そう、このレストランみたいな所で ナミエといっしょに何か食べながらトボケた話をしゃ べりあっていたいんだ。それ、おしぼりかな? |
女 | ああ、ごめんなさい。はい。 |
男 | ありがとう…どぅ?今日も油ぎってるかな? |
女 | そうねぇ。少しテカッてるかな。まあ健康そうには見 えるけど。 |
男 | これも遺伝だろうな。(顔をふく) |
女 | 別にいいじゃないの。あたしはきらいじゃないわよ。 |
男 | でも、普通は嫌われるんだよ、あんまり油ぎってると。 |
女 | ふうん。ワインどう? |
男 | ああ、もらおうか。ナミエはもういいのか? |
女 | わたしはいいの。これはあなたのために注文したんだ から。(トクトクとそそぐ) |
男 | オレのために? |
女 | そう。あなたをつかまえるために。 |
男 | 酔わせて何かいけないことをしようって思ってるのか? |
女 | そういうこと。 |
男 | 何か食べ物もほしくないか? |
女 | そうねえ、ペレットだけじゃおなかすいちゃうわよね。 |
男 | ペレット? |
女 | もう少し待って、ダンゴが来るはずだから。 |
男 | ダンゴ…ダンゴはあんまり好きじゃないんだよ。 |
女 | ごめんなさい。白くて小さなダンゴを注文しちゃった のよ。 |
男 | な、…なんだって? |
女 | ホウ酸ダンゴ。 |
男 | ナミエ…お前…。 |
女 | だから言ったでしょ。今日はあなたをつかまえるって。 |
男 | 悪いが帰らせてもらう。 |
女 | そうはいかないのよ。 |
カチャンとグラスがたおれる。 | |
男 | あ!イスが… |
女 | じっとしてて。どんなにもがいてもあなたは逃げられ ないわ。もがけばもがくほどそのネバネバした接着剤 があなたをからめとるの。 |
男 | ナミエ。 |
女 | だって、わたし…あなたの事、愛してるんだもの。 |
おわり |