第159話(99/04/16 ON AIR)
『ひとりぐらし』 作:四夜原 茂


扉が開き、閉まる。
その日、僕はいつものように8時きっかりに部屋に
たどりついた。そしてガスコンロに火をつけ、夕食
の準備にとりかかった。といっても、お湯を沸かし
てカップラーメンにそそぐだけなのだが…。
コンロのガッチャンという音。カップのフタをは
がすピリピリという音。
その時、ふと部屋の様子がまた少しちがっているこ
とに気がついた。家具の配置が変わっているとかそ
ういうことではなく、雰囲気というか、微妙なバラ
ンスが朝とはちがっているようなのだ。
誰かが僕の部屋に侵入して……まさか。
ひとりぐらしの男の部屋に誰が侵入するっていうん
だ?でもこの灰皿にはたしか吸い殻が残ってたはず
なのに、きれいに洗ってある…まてよ、今朝、僕が
洗ったのか?……覚えてない。とにかく、何かが少
しずつ変わっているようなのだが…気のせいか…。
 扉が開く。女、酔っぱらっているようだ。
ただいまー。
お、おかえりー。
ん?あんた誰?
あなたこそ誰なんですか。
ナミエよ。
ナミヘイ?
ナミエ。ナミヘイじゃサザエさんとこのオヤジじゃ
ないか。水、水ちょうだい。
はいはい。
その日も私はへべれけだった。部屋に帰ってみると
見知らぬ男が私を待っていた。ピンと来た。あいつ
だ、とうとうあいつが姿をあらわしたってわけだ。
水道の水の音
女に見覚えはなかったが仕方なく水をくんでやった。
どうせ酔っぱらって部屋を間違えたってっことなん
だろうと思った。はい、水。
ありがと。ん?おい、なんかこの水にごってないか?
何か入れたんじゃねぇだろうな。
何も入れてませんよ。ただの水です。それ飲んだら
帰って下さいね。
お。帰れだと?ゆうれいのくせにえらそうな口たたく
じゃねぇか。
 女、水を飲む
…ゆうれい?僕が?
知ってんだぞ。お前、いつもその流し台の所に立って
あたしのこと見てただろ?
見てませんよ。
そういうのをスモーカーって言うんだぞ。
…ストーカー。
そうそれ。あ-。お前、じゃあ、知っててやってたん
だな。自分がスモーカーだって知っててやってたんだ。
だから……まてよ。僕の留守中に侵入してたのはこの
女なんじゃないだろうか?いったい何が目的なんだろう。
なにブツブツ言ってんだ。今から着がえっからあっち
向いてろよ。
え?着がえるんですか?
あたり前だろ。このまま寝たりしたらスーツがしわし
わになるだろ?あっち向いてろ。
はいはい。
なんとなく落ちつかなかったが仕方ない。相手はゆう
れいだから何を見られても平気だってことにしとこう。
私はブラウスのボタンをはずし、スカートのホックを
さっと……うー、はずれないよ。どうなってんだ?
もっと息を吐いて、「ハァー」。バーンと衣類を投げ
捨てて、あられもないかっこうになった。……おい、
お前。
は?
じっとそっち向いてるけど、興味ないのか?
な、何ですか?
あたしのあられもないかっこうに。
そりゃ、少しは…。
じゃあ自分の欲望にすなおに従ったらどうなんだ?
い、いいんですか?
いいもなにも、いつも見てんだろ?
じゃ、じゃあ、ちょっとだけ………あれ?
あー!何てやつだ。お前、ゆうれいの中でも最低のや
つだな。やめた、やめた。今日は着がえるのやめとこ
う。ラーメンか何か作ってくれ。
ラーメンを?僕が?
だって、おなかすいちゃってるんだもん。おや、もう
用意してあるじゃないか。気がきくなあ。
いや、これは僕のなんです。
麺は、かた目。スープは、薄味にしといてくれよ、ゆ
うれい君。 
あの…ゆうれいって、どうして僕がゆうれいなんですか?
どうしてって、人の部屋にふっとあらわれて、うらめ
しそうな目であたしを見てたじゃないか。そういうのを
ゆうれいって言うんだよ。
いや、だから、ここは僕の部屋なんですよ。
そんなわけないだろ。この部屋は、大家の山田芳三って
  じいちゃんのもんだよ。ほれ。お湯、沸いてるよ。
あ。まあ、そりゃそうなんですが…スープは薄味でした
っけ?
うん。で、何があったんだ?
何がって?
ゆうれいになるくらいだから、何かあったんだろ?
あたしに何かされて、うらんでるとか。
別に何もないですよ。
わかってるって。あたしね、うらまれやすいタイプなん
だよ。気づかないうちに誰かをキズつけたり、ふみつけ
にしてるらしいんだよ。ひどいやつなんだ、あたしって。
あの…。
あー!わかった。わかったよ。昨日、あたし、ひどいこ
としちゃったんだ。今、思い出した。
僕にですか?
そうか、あれがあんただったんだ。ごめん、悪かった。
でも、昨日も僕はいつもどおりラーメンを食べて…。
そう、あんたはいつもどおりあたしのラーメンの食べ残
したラーメンを食べてた。
あなたの食べのこしを?
その時、あたし、ちょっと気が立ってたんだ。あんたが
ラーメンをぺちゃぺちゃ食べてる姿を見て、ムカッとき
た。つい、玄関に置いてあったスリッパ、そう、このス
リッパをつかむと、おもいっきりあんたの頭を…。
パーンと男の頭をなぐりつける。
いて!
それだけじゃないの。弱ったあんたに台所用の合成洗剤
をわーっとかけて
えー?
おまけに、その上から熱湯を…。
熱湯を?!
…あんたはとうとう動かなくなった。あたしはハーハー
と荒い息をしながら、割りバシであんたの死体をつまむ
とビニールぶくろに入れてゴミバコに…。
なんですか、それ…あ、ゴキブリ?
ごめん、本当に悪かった。
じゃあ、なんですか?僕はゴキブリのゆうれいだって言
うんですか?
台所からじっとあたしを見つめる、ねっとりした視線、
あれはゴキブリがナベやフライパンのかげからじっとあ
たしを見てたからなんだ。
ナミエという女の話は無茶苦茶だった。僕は昨日までゴ
キブリで、今日からは、そのゴキブリのゆうれいだと言
うのだ。もしもそれが本当なら、僕ってかなり悲惨なや
つだ。
ああ、ありがと。あんた、…半分食べる?
あ、…はい。
男・女 と、その時…。
携帯電話が鳴る。ピッと受信の音。
はいはい。ナミエです……え?
それ、僕のケイタイですよ。
はい?ちょっと聞きとりにくいんですけど、ちょっと待
って下さい。ベランダに出ますから。
ベランダに通じるマドを開けると街の音が流れ込む
あんた、ラーメン先に食べてていいわよ。
はあ、でもそのケイタイは
だから、何度も言ってるように、その話はおことわりします。
女、マドを閉じる
いたい誰と話してるんだろう。仕方なく僕はラーメンを
半分だけ食べた。ふと、ベランダを見るとナミエはいな
くなっていた。僕のケイタイとともに…。
ピッとケイタイを切る音
もう。話のわからないやつだ。……ふと、ベランダから
部屋の中をのぞくと、ゆうれいは消えていた。律義にラ
ーメンを半分だけのこして…。