第158話(99/04/09 ON AIR)
『ちょっとそこまで、親父殿を見に』 作:花田 明子

登場人物
坂本浩一(兄)
坂本由紀子(妹)

 始まりは浩一の大きな大きく息を吐く音。
浩一 ふーぅつ。
そこは病院。
分娩室前のベンチ。
浩一のタバコを吸う音だけが聞こえる。
 とそこへ近づいてくる足音。
 由紀子が缶コーヒーを持ってやってくる。
浩一 あ。
由紀子 はい。
浩一 うん。
浩一の缶コーヒーを開けるプルトップの音。
由紀子が浩一の隣に腰掛ける音がする。
続けて由紀子の缶コーヒーを開ける音。
しばし二人は何もしゃべらない。
と、浩一、
浩一 どうだった?
由紀子 え?
浩一 だから、おやじ。
由紀子 ああ。うん……相変わらずです。
浩一 そっか…。
 と、浩一コーヒーをぐびと飲む。
由紀子 一応「こっち来て座ったら?」とは言ったんだけどね。
浩一 全然駄目だろ?
由紀子 うん、聞く耳持たずって感じ。
浩一 というより心ここにあらず。
由紀子 そうみたい。
 由紀子も、コーヒーをぐびと飲む。
 ふたりまたしばし黙る。
 と、不意に浩一、
浩一 一週間前だったからさぁ、俺んとこに連絡きたのは。
だって突然だろ?
由紀子 びっくりした?
浩一 いや、びっくりって言うより何て言っていいのかわから
なくてさぁ。
由紀子 ああ。
浩一 何て言っていいのか……いや、やっぱりびっくりしたの
かなぁ。
由紀子 うん。
由紀子 ねぇ、どっちからだった?
浩一 え?
由紀子  電話。お父さんから?お母さんから?
浩一 ああ、おやじ。「実はお前たちに兄弟ができることにな
ったから」って。
由紀子 ふーん。
浩一 まるで「今度転勤になった」なんてなことを報告するみ
たいな言い方でさぁ。
由紀子 ……。
浩一 俺ね、最初、おやが何言ってんのか分かんなくてさぁ。
「兄弟?由紀子がどうかしたの?」とか的外れなこと言っ
たりして……。
由紀子 うん。
浩一 いつもの調子で。動じないって感じで。
由紀子 (生返事で)ああ。
浩一 で、来てみたらあんな状態だよ。
由紀子のコーヒーを飲む音がする。
浩一 あんなおやじ、初めて見たよ。
由紀子 ちょろちょろ動いて。
浩一 何やってても落ち着かないだろ?
由紀子 うん……。
 しばしの間
 と、由紀子、
由紀子 私はね、お母さんからだったんだ。
浩一 え?
由紀子 連絡。随分前だった。
浩一 え、そうなの?
由紀子 あれ、2・3カ月だったんじゃないかなぁ……。多分で
きたって分かってすぐだったんだと思う。
浩一 何でお前だけ。
由紀子 あ、いや私にはね。「どうしたらいいだろう?」って電
話だったの。
浩一 おやじが産んでくれって?
由紀子 そう。……お母さんはね、本当に迷ってたんだよ。歳も
歳だし、今からまた育てるなんてとかなんとか言って……。
浩一 そりゃそうだろう。子供が成人するころにはおやじもおふ
くろも70過ぎてるんだから。
由紀子 うん……でもね、お父さんが「できた」って言ったとき、
すごく喜んだんだって。「そうかぁ、できたかぁ、そうかぁ。
そうかぁ。」って。
浩一 ……。
由紀子 「部屋をちょっと変えんとなぁ。だってこれじゃあ可哀想
だろう。お前、壁紙張り替えたいって言ってたろう。明る
いのに変えるかぁ。」って。
浩一 信じられんなぁ。
由紀子 でしょ?
浩一 うん。
由紀子 でもそれ聞いたら、何か一杯になっちゃってさぁ。私、「産ん
だらいいよ。産むべきだよ」って言っちゃってたよ。
浩一 ……。
由紀子 ………。
二人、黙ってコーヒーを飲んでいる。
しばしの間
浩一 でも何かおかしな気分だよ。
由紀子 うん。
浩一 何かおかしな気分だろ?
由紀子 うん……だって兄弟っていっても23も離れてるんだよ。
浩一 俺なんかもっとだよ。俺だったらそれぐらいの子供がいてもお
かしくないんだから。
由紀子 うん……。
浩一 やっぱり寂しかったのか?
由紀子 え?
浩一 だからお前が家出てから3年か?……二人だけの生活。
由紀子 でもやっと開放されたって言ってたじゃない。
浩一 やっとゆっくりいろいろやれるっておやじも言ってたよ。俺も
ゆっくりしてくれって、思って。でも、寂しかったのか?
由紀子 あ、先週ね。私もお父さんから電話があったんだ。
浩一 けどお前はおふくろから聞いて知ってたんだろ。
由紀子 もちろん私はお母さんについてここ(病院)にも来てたし、い
ろいろ買ったりするのにも付き合ってたから、
浩一 そうなの?
由紀子 うん。
浩一 ……で、おやじは何て言ってきたの?
由紀子 ………「何か最近忙しいよ。」って。
浩一 え?
由紀子 「あれやこれやで、本当に大変だぞ。」
浩一 ……。
由紀子 「由紀子、終わったと思ってたらまた始まったよ。」って
浩一 ………。
由紀子 ………。
二人、さっき見た父親の落ち着かない姿と、
その電話の向こうで話していたであろう父親の姿に
重なって見えたものにちょっとだけ一杯になった。
と、不意に向こうで慌ただしい動きがした。
由紀子 あ。
浩一 もしかして産まれたんじゃないか?
由紀子 ねぇ。
浩一 行ってみるか。
由紀子 うん。お父さんを見に。
浩一 親父殿(おやじどの)を見に。
由紀子 二人、立ち上がってほんの少しだけ足早に歩いて行く。
「おわり」