第149話(99/02/05 ON AIR) | ||
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『泳ぐ女』 | 作:み群 杏子 |
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女 | 男が一匹の魚を下ろしていく。 |
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男 | ウロコはていねいに削ぎ落とすこと。その ままにしておくと、生臭さが残り、舌ざわり も悪くなる。 |
女 | 包丁を持つ指は、昨日の夜、女のやわらか な足の間で揺れていた、あの指だ。 |
男 | まず、頭とはらわたを取る。身のやわらか な魚は取扱いに気をつけること。腹の方を手 前にして、中骨にそって切っていく。肝心な のは、新鮮な材料を選ぶことだ。 |
女 | 魚は、身も腸も削ぎ落とされて、うっそり と哀しげな顔をしている。 女は、どこかで、そんな表情を見たことがあ る。 |
男 | 包丁は、よく切れるものを使う。切れの悪 いのは、身をくずしてしまう。 |
女 | そうだ、あれはシーツの上で、ぼんやりと 男を見上げていた、自分の顔だ。 |
男 | 尾のところに包丁を入れ、中骨にくっつい ている身を切り離す。力を入れすぎないよう に。あくまでも軽く。一匹の魚は二枚に別れ る。 |
女 | 女のなかにも、いつも二人の女がいる。 笑っている女と泣いている女。 しゃべっている女と黙っている女。 ここにいる女とどこか別の場所にいる女。 |
男 | 二枚に下ろすか、三枚に下ろすか。 |
女 | いろんなやり方がある。 拡げ方も、閉じ方も、扱い方も時によって変 わる。丁寧な時もあるし、あらっぽい時もあ る。 |
男 | 骨の付いていない方は刺身にするといい。 |
女 | さくさくと、切り取られていく。 女のつかのま。女の約束。女自身… |
男 | 骨のついた方は、どうするか。焼くか、煮 るか… |
女 | あの頭は、どうするんだろう。 |
男 | 頭をくっつけて、活け作りにするか。いや、 それは本職にまかせればよい。あくまでも 遊びの料理だ。 |
女 | 男の指が遊んでいる。指笛、指ずもう、指 人形、指きり、あやとり、耳そうじ。 ポーズする指、ささやく指、かむ指、泳ぐ指 、指の先には海がある。 魚は、頭のなくなった、その半分だけでも、 海へ帰りたいと思うのだろうか。 |
男 | あ、ぴくぴくしてるぞ。まだ、生きてるの かって?そんなわけはないだろう。 |
女 | 女の記憶の中にある海。その波うち際にし か男はやってこない。 女は、突き上げる沖の胴間声を聞きたいと思 う。 |
男 | そうだ、頭も一緒に、煮魚にするか。 |
女 | 水が揺れる。 |
男 | ひたひたの水に、酒と醤油と、それに、味 醂と砂糖と… |
女 | ゆらりと身をひるがえして、女は、泳ぎ出 す。つめたい冬の海を、一匹の魚になって、 沖へ、沖へと。 |
END |