第148話(99/01/29 ON AIR) | ||
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『兎の日』 | 作:久野 那美 |
夕方。線路の脇の公園。風の中を空き缶が転がっている。 大きな兎が一匹。空き缶を拾って、ゴミ箱へ放り込む。 女の子が一人。ぶらんこを漕いでいる。足音を立てて、 兎は近づいていく。 |
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兎 | こんにちは。 |
女の子 | …………こんにちは。 |
兎 | 隣、いいですか? |
女の子 | 隣。………あ。どうぞ。 |
兎 | 兎は隣のぶらんこに腰掛け、見よう見まねで不器用に漕 ぎ始めた。しばらく。女の子は気になるので時々見てい る。 |
女の子 | ……初めてですか? |
兎 | はい。初めてです。 |
女の子 | あの。地面をね。こうやってね。 |
兎 | 地面?こうですか。 |
女の子 | そう。そんな感じ。 |
兎 | ありがとう。 |
女の子 | いえ。 |
兎 | 兎、だんだん上手になる。長い耳が風になびく。 ふたりは並んでぶらんこを漕いでいる。 |
女の子 | 上手ですね。 |
兎 | そうですか? |
女の子 | ええ。上手ですよ。 |
兎 | 間 |
女の子 | あの。 |
兎 | はい。 |
女の子 | 兎さん…ですよね。(横目で見る) |
兎 | わかります? |
女の子 | ええ。わかりやすい形ですから。 |
兎 | そうですか。 |
女の子 | おおきいですね。 |
兎 | ええ。大きな兎なんです。 |
女の子 | あったかそうですね。 |
兎 | …………ええ…。 |
女の子 | いいですよね。この季節には。 |
兎 | ……あなたは寒いですか? |
女の子 | ええ。少し。私は人間ですから。 |
ふたり、ぶらんこを漕ぐ。それぞれの正面を向いて。 しばらく。 |
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兎 | わかりやすいのは形だけです。 |
女の子 | え? |
兎 | 見ただけでは分からないこともあります。 |
女の子 | ? |
兎 | たとえば。 |
女の子 | たとえば。 |
兎 | 人間を食べるんです。 |
女の子 | あなたが? |
兎 | はい。 |
女の子 | 兎なのに? |
兎 | 兎なのに。 |
女の子 | …。 |
間 | |
女の子 | だから、そんなに… |
兎 | そんなに? |
女の子 | 悲しそうに。 |
兎 | 悲しそうに、見えますか。 |
女の子 | ええ。 |
兎 | そうですか…。 |
間 | |
兎 | 人を食べる兎との付き合い方を、誰も知りません。 僕にもわからないんです。 |
女の子 | それは、悲しいことなんですか? |
兎 | かなしいこと…。(肯定も否定もしない) 勉強しました。法律や、文学や、哲学や、科学…。法律 は人を食べる兎を裁いたりしないんです。だから、僕に は罪がないのかもしれないと思いました。でも、法律は 人を食べる兎の権利のことも、説明したりしませんでし た。 文学や、哲学や、科学が教えてくれるのは、人間と世 の中のことでした。正しいことや間違ったことについ てでした。人を食べる兎のことではありませんでした。 |
女の子 | 文学。 |
兎 | はい。 |
女の子 | 哲学。 |
兎 | はい。 |
女の子 | 科学。 |
兎 | はい。 |
女の子 | あなたは、哲学も食べるの? |
兎 | いいえ。僕は哲学は食べません。 文学も科学も食べません。 |
女の子 | 食べないんですか。 |
兎 | 食べません。 |
女の子 | そう。 |
兎 | 哲学を食べる兎には哲学を食べる兎の悲しみがあ るのかもしれません。でも、それは僕の悲しみと は違います。 |
女の子 | …。 |
兎 | 生きるために。食べないと死んでしまうんです。 この町の人もみんな、食べてしまったんです。 |
女の子 | この、町の人…。 |
兎 | 風が吹く。 |
女の子 | あなたは、ひどい兎なのね。 |
兎 | そうです。ひどい兎なんです。 |
兎女の子 | ひどい兎が悲しいなんて勝手じゃない。 |
兎 | …。 |
女の子 | それでも、あったかいですか? |
兎 | あったかいです。食べたものの分だけ、体温が 上がるからです。 |
女の子 | じゃあ、あったかいと悲しいんですか? |
兎 | あったかいと悲しいです。 |
女の子 | それは、あなたがひどい兎だからですか? |
兎 | そうです。 |
女の子 | ひどい兎…。ひどい兎は、あったかいと、 悲しい…。(何か考えている。) |
兎 | しばらく。長い間。ふたりとも黙っている。 いろいろ考えて。女の子はぶらんこを止める。兎もつら れて止める。 |
女の子 | やっぱり、わからない。 |
兎 | え? |
女の子 | 私が分かるのは、形だけです。 |
兎 | (女の子を見ている) |
女の子 | 見てわかること。兎。大きい。あったかそう。 |
兎 | …。(女の子を見ている) |
女の子 | ほかのことはわからない。 |
兎 | …。 |
風が吹く。ふたり、同時に瞬きする。 なんだか少し、楽しくなる。兎も。楽しくなる。 |
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兎、女の子の後ろへ回り、背中を押す。 ぶらんこは大きな弧を描いて宙に出ていく。 ぎいっぎいっ。しばらく。 ぎいっぎいっ。ぎいっぎいっ。 やがて。 |
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ぶらんこが止まる。 | |
兎 | …寒いですね。(空を見ている) |
踏切の音。大きくなる。 電車が通過する。長い電車。 静寂。 |
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風の中。ぶらんこが頼りなく、いつまでも揺れている。 |