第116話 (98/06/19 ON AIR)
『雨やどり』 作:松田 正隆

登場人物
雨やどりの男
傘もささない女




―男が朽ちかけたコンクリートの建造物の中で、雨がやむのを
 待っている。
 だから先ほどから雨はかなりしたたかに降っていたのだ。や
 がて、男はフーッとため息をついて、
「いつまで続くんや、この雨…」
―と、足音がして、雨の中に女が現れる。
「…何や、この女…。傘もささんと…。」(とひとりごと)
―と、まだ女はこちらを見ているらしく。
「何やねん、ジロジロこっちみて、あっち行けや…。」
  (とひとりごと…)
「…あの。」
「はい。…何ですか」
「何してるんですか。」
「何してるって、見ればわかるやないですか。雨やどりを
してるんです。」
「雨やどり?」
「ええ」
「雨も降ってへんのに?」
「は?」
「雨、降ってませんよ」
「何を言うてるんです。降ってるやないですか。」
「ええ?(と笑って)、いや降ってませんよ。」
「ここんとこずっとです。しばらく降りつづいてるから私は
外に出られへんのです。そやな…もう3日になるかな…」
「あの、大丈夫ですか?」
「何が」
「何がって…その…。」
「失礼なこと言わんといて下さい。私は正気ですよ。」
「いえ、別に、そういうわけで言うたんやないんやけど…」
「じゃ、どういうつもりなんです」
「ま、とにかく、外に出た方がいいですよ。」
「雨に濡れるやないですか」
「そやから、雨なんか降ってへんて言うてるやないですか…」
「(鼻で笑って)そんな…あなた、私をだまそうたってそう
 はいきませんよ。」
「何で、私が、あなたをだまさなあかんのです。…私、ここ
 通りかかっただけなんですよ…。そんなとこで人を見かけ
 たんは初めてやったから…。まあ、そこにいたいんだった
 ら、仕方ないけど。」
「いたいわけないやないですか。こんな殺風景なとこ…。で
 きれば早よ出たいですよ。そやけど、雨、降ってるし。」
「雨なんか降ってへんて、何ベン言うたら気がすむんですか。」
「ええ?」
「その証拠に、私、濡れてへんやないですか。濡れてます?私…」
「…はあ…。…何で濡れてへんのです?」
「だから!…。(と、ため息)…(あきらめて)あなた…鐘に
 でもなったつもりなんですか?」
「え?カネ?…何です、カネって…」
「よう見てそこにはいったんですか…。そこ、屋根みたいに
 なってるけど、本当は教会の一部やったとこなんですよ。」
「え?教会の?」
「教会の塔の…上のとこ…。何です、ほら鐘をつるしてる、
 ドームのとこ…。」
「ああ…」
「昔そこの、川の向こうにレンガ造りの教会があったらしいん
 やけど、その上の部分だけが、戦争の時に、何や知らんけど
 爆弾かなんかで吹きとばされて、そこに、そのまま埋まって
 しもうたらしいんです。」
「へえ」
「つまり、あなたはその文化財の下におるわけなんですよ。」
「え?文化財?これが?」
「あたりまえやないですか。…何や、それを保存する会とか
 あって。この町の人が管理してるんやないかな…。」
「え?ほんまに?」
「そやから、私は言うたんですよ。出て来た方がええって。」
「なるほど…」
「親切で言うてるんですよ」
「ああ…。文化財なら仕方ないですね」
「それをだますやなんて…」
「すいません。…ほんなら…そっち行きますわ…。」
―雨音はつづいていたが…男が一歩前へ踏み出したとたん、夏の晴
 れわたった空へセミが、勢いよくないている。
「…あ、何や…雨、止んどる…」
「(笑って)ね…雨なんか降ってへんでしょう」
「ええ…降ってませんね」
「ずっとですよ。」
「え?」
「もう、ずいぶん雨降ってへんのですから…。ここんとこずっと
 いいお天気やったんですよ」
「そうなんですか…」
「ほんまに知らんかったんですか?」
「え?…ええ…まあ…」
「そうですか…。それは残念でしたね」
間。街の雑踏の音。車のクラクションなど
「…そやけど…何で私はこの中におって…雨やどりなんかしてた
 んやろ…雨も降ってへんのに…」
「さあ…」
「ねえ、何でやと思います?」
「いや私にそんなこときかれても…。あの、仕事ありますから、
 これで…」(と、去ってゆく音)
「はあ…。…待てよ…いつからオレはここにおったんや…。えっと
 …ウーン。」(と、考える)
―セミの声。と、オフィス街の雑踏の音はやがて、再び雨音へとかわっ
 てゆく。
「おい…ほら…またや…また雨が降ってる…。」
―雷鳴がとどろく。そして強い雨…。
「雨や…雨はやっぱり降ってんのや。…そやけど、オレは、なぜ
 雨に濡れへんのやろか。…あ、そうや、こういうことや…つまり
 オレは、青空の下で雨やどりをしてるんや。だとしたら、この雨
 は、一体どこで降ってんのやろか…」
―冒頭のごとく雨はつづく。それにまぎれて教会の鐘の音
                                    終