第108(98/04/24 ON AIR)
『最後の二人』 作:土田 英生

登場人物
男・女
場所
市街が見下ろせる公園
時間
午後8時頃



 ……電話の呼び出し音。何回も……
……出ませんか?
そう……みたいですねえ。
そうですか……
かけてみますか?
私はもう……ええ、出ないのは分かってますから。
間。
実感が涌きませんよ。
え?
実感が。なんだか。
はい。
……いつもの様に仕事が終わって……まっすぐ帰ればよかったん
ですけど、買いたい本があったから、本屋に立ち寄って……本を
三冊買って、家に帰ろうと駅まであるいてて、この公園を通って
……そしたら、突然、周りの人達がパタパタと……
……突然だから意外といいのかも知れませんね。
え?
落ち着いてられるのはそのせいでしょう?
ええ。後……あなたがいたから良かったんですよ。
……そうですね。一人では辛いでしょうねえ? この状況で。
ええ。
あ……あのカップル。
え?
街灯の下のベンチにいる……ほら。
(笑って)そうですね。二人とも、すっかり眠ってしまいましたね。
ええ。
間。
不思議なもんですよ。こうして見てると建物に明かりがついていて、
まるで普段と変わらない。
ええ。
でも、人は動いていない訳ですから。
はい。
……まさかあれがそんなものだとは思いませんでしたよ。少し変わ
った雲があるなあくらいに思ってたんですよ。ちょうど電車を待っ
ていて、ホームから見えたんです。こう、暮れかかった空に、しか
も晴れ渡った空にぽっかりとその雲だけ浮いていて……
私も買い物をして、スーパーから出てきた時発見して……きれいだ
ったからしばらく見とれちゃいましたよ。得したなあと思ったりし
て、早速弟に教えてやろうと思ったりしてたんですけど。
まさかねえ。
ええ。……今日は弟がマンションに遊びに来るはずだったんです。
今年やっと高校を出て、就職して……就職祝いをしてあげようと
思ってたんですけど。両親がいないから、親代わりなんですよ。私。
もう一回電話してみますか?
結構です。多分、もう。……ただ、どこで眠っているのか……外じゃ
なかったらいいんですけど。
……あなた、結婚は?
してません。……中々、いい相手に巡り合えなくて。
少し……妻に似てますよ。出会った頃の妻に、あごのラインなんかが。
そうですか?
ええ。
間。
この辺りは軍需工場とかが多いですから、いつかはこんなことがある
んじゃないかとは思ってたんですけど。
そうですか。
(笑って)ま、こんな突然やってくるとは思いませんでしたけどね。
……静かですね?
ええ。……肩、抱いていいですか?
んん……どうでしょう?
やめときますか?
……はい。
そうですね。最後の最後に浮気してたんじゃ、妻に恨まれますね。
そうですよ。
色々ありましたから、これまでも。
悪いことしたんですか?
どうですかねえ……でも、妻とは大恋愛だったんですよ。昔、僕は
バンドとかやってて、ライブハウスがあって、そこで妻はアルバイト
をしていたんです。可愛い子で、みんなが狙ってました。
はい。
僕が音楽をあきらめて……サラリーマンになったんですが……そんな
ことはいいですね、どうでも。すいません。
いえ。
……男の子がいるんです。祐治って言うんですけどね。小学校の三年
生です。四月だから、なったばっかりですけど。
はい。
私にはあんまり似てなくて、妻に似てるんですよ。
ええ。
犬が好きな子で……この前も野良犬を拾ってきて、雑種の子犬を。家
で飼ってくれってうるさくてね。
はい。
でもマンションですから、私の家も。
飼えないんですか?
ちょっとね。幸い親戚がもらってくれて……
良かったじゃないですか。
でも祐治は泣いてましたよ。
ああ……
だから……来週の休みに、モデルルームを見に行こうって妻とは話し
てたんですけど……見に行けなくなっちゃいましたよ。
名前は?
え?ああ、貴弘っていいます。
誰がつけたんですか?
え?父親です、私の。
おじいちゃんが?
ええ……は?誰の名前ですか。
あ、まだ一人じゃないな。汽笛は人が鳴らさないと、鳴らないでしょ
う?……でも……(笑って)なんか、私も、急に眠くなってきましたよ。
間。
……あなた、やっぱり、妻に似てますよ。
とても静かに世界は終わって行く。