第106話 (98/04/10 ON AIR)
『さらば……ヤマモト』 作:花田 明子

登場人物
男 中岡武雄(リリー)
女 山元有輝子(ユキコ)


舞台は女の六畳の部屋、アパートの一室。
突然、水が勢いよく流れる音。
ユキコ (白菜を切りながら)ンンンー、ンンンンー。ンンンー
ンンンンー(さらば地球よ旅立つ船は)ンンンーンンンンー。
(宇宙戦艦)ンー!ンー!(ヤマ)んっああ、
ユキコ、水を止める。一瞬の唄の沈黙。(鍋をコンロに
移動)コンロのつまみをひねる。(プロパン)
コンロ シュボボボボ。
コンロのつまみをおさえたままのユキコ。
コンロの火がようやくついた。
ユキコ ンーンンンンンンー(宇宙のかなた)
と、「スットコ……トントン」(アパートのドアを遠慮
がちに叩く音)
ユキコ 開いてるー。
ユキコがぽちゃぽちゃと放り込む野菜の音の中、扉が開く。
リリー  扉を開けると同時に)お邪魔あ。
リリーが入ってきた。コンビニの袋を下げている。
ユキコ 目が合って)ごめん、まだなの。
リリー  ああァ、平気。
ユキコ 座ってて。
リリー  うん、じゃあお邪魔しま……って別に邪魔しに来たわけじゃ
……え?
リリー、入ってすぐ、がらんどうの部屋に驚く。
ユキコ (冷蔵庫を開け牛の薄切りパックを外し乍ら)バタバタしてて
さっき何とか片付いて、
リリー  何これ。
ユキコ (振り返って)え?
リリー  何これ。
ユキコ (何のことか分かって)あああ、もう捨てた捨てた。
リリー 
ユキコ 大変だったのよ。
リリー  !まさか全部捨てたの?!
ユキコ そうよ。
リリー  どうして?!
ユキコ どうしてって、
リリー  私がいるじゃない!
ユキコ そんなことしたらリリーの部屋、ゴミ溜めになっちゃうわよ。
リリー  私はちゃんと整理してます。
ユキコ しててもよ。物が増えたってリリーの部屋はふくらまないのよ。
リリー  当たり前でしょ。
ユキコ また…そんなこと言ってるから、去年あんなことになったのよ、
忘れたの?!
リリー  あんなこと?
ユキコ タタミが抜けて、
リリー  あれはこのアパートが古すぎるから、
ユキコ 違う。リリーのせいだよ。
リリー  (ユキコを切って)おかげで畳がきれいになったわ。かえって
よかったくらいよ。
ユキコ よく言うよ。後で大家さんにガーガー言われて、ピーピーピー
ピー泣いてた癖に。
リリー  餌もらうひな鳥じゃないんだからピーピーなんて泣かないわよ。
ユキコ 泣いてたわよ。「ユキじゃん、かだらず(必ず)かえずがらね
え。(返すからねえ)とか言っちゃって、」
リリー  私、そんな下品な泣き方しないわよ!
ユキコ してたわよ!
リリー  ああッ!!!(息をバキュームのように吸い込むような音)ひ
ょっとしてあんた、あれも捨てたの?
ユキコ ええ?(何だって?の意)
リリー  (両手で何やら箱をかたどり)あのあそこに置いてあった、
(壁の辺りを指さして)
ユキコ ああ、あの箱。
リリー  箱じゃない、サイドテーブル!!
ユキコ ただの木箱。スタンド置いてただけ。
リリー  サイドテーブルよ!目覚まし(時計)置いて、読みかけの本置
いて、
ユキコ だからただの箱(なんだって)
リリー  (ユキコを切って)もしかして、スタンド
ユキコ 捨てたわよ。
リリー  うそでしょう。
ユキコ 丸椅子も!
リリー  鉢植えののってた?
ユキコ ブリキの缶も!
リリー  クリムゾンのポスターが入ってたやつ。
ユキコ ズタ袋も!
リリー  ずた袋って、もしかして、トレーナー入れてた?
ユキコ 捨てた、捨てた。ぜーんぶ捨てた。すっからかんかんかーんよ!
…がらんどう!
リリー  !!!
ユキコ 何なのよ。
リリー  ……。
ユキコ ならぜーんぶリリーにあげりゃあよかったの?そしたらリリーは
泣いて喜んでくれたの!?
リリー  そうよーユキコの使ってたサイドテーブルに、スタンド置いて本
を読んだわ!
ユキコ あのズタ袋にリリーの大きすぎるセーター入れて?!
リリー  鉢植えも買った!
ユキコ それであの丸椅子の載せる?!
リリー  そう、何もかもユキコがそうしてたみたいに!
ふいにすごい勢いで鍋からふきこぼれる音。二人、鍋を見る。
ユキコ、台所へ鍋の火を止めに行った。鍋の火が止まった。
ユキコ (振り返って)リリー、前にも言ったけど私、リリーのことかな
り好きなのよ。
リリー  聞いた。
ユキコ 私がカナリって使うときはそれはもうかなりなことなのよ。
リリー  それも聞いた。
ユキコ たった駅3つだよ。電話して「会うか?」「おう」…すぐだよ。
リリー  じゃあ、ゴボウサラダはどうしたらいいの?
ユキコ え?
作りすぎちゃったら、私きっと全部食べちゃう。そしたらお腹が
ぽこんって出ちゃう。
ユキコ なら持ってきて。
リリー  駅3つ電車にゆられて?
ユキコ 改札口で待合せするの。
リリー  駅まで自転車とばして切符買って…、
ユキコ (リリーを切って)なら私食べに来るわよ、リリーのゴボウサラ
ダ。
リリー  (ユキコを次いで)ユキコは今どうしてるかしら。お夕飯何にし
たのかしら。まだ食べてないわよね。ちょっと電話して、
ユキコ してよ。
リリー  でもきっとプッシュホン全部押せないのよ。
ユキコ
リリー  ユキコは帰ってくる人のためにポテトサラダを作ってるかもしれない。
ユキコ ……!
リリー  リリーは大きな身体を丸めていた。
ユキコ、リリーのそばへ歩いていく。裸足足の裏の
音がする
ユキコ、しゃがんでリリーの大きな身体を抱えこんだ。
ユキコ どうしたらいいの?
リリー  …。
ユキコ ええ?(何なんだよ?どうしたいのよ?の意)
リリー  だって、
ユキコ (リリーを切って)あ。
リリー  え?
ユキコ (次ぐように)前にもこんなことあったよね。
リリー  え?
ユキコ こうやって……今と逆…リリーが私の身体をこうして、
リリー  (思い出そうとしている)。
ユキコ そう、リリーのベッドに私がコーヒーをこぼした朝。
車が一台通り過ぎる。『8ヶ月前、夏』
リリー  (通り過ぎると同時に)「おねえさん、お砂糖いくつ?ミルク
は?」
ユキコ 「あんた誰?」
リリー  「私が先に聞いたの」
ユキコ 「砂糖2つ。ミルク1杯」
リリー  「そ。なら買ってきて」
ユキコ 「え?」
リリー  「私はお砂糖もミルクも入れないの」
ユキコ 「じゃあどうして聞くんですか?」
リリー  「当たり前でしょ、エチケット。女の慎み」
ユキコ (笑って)「エチケット?」
リリー  「私はね、リリー」
ユキコ 「え?」
リリー  「さっき聞いたでしょ。店でもそう。友達からもそう呼ばれてる」
ユキコ 「リリー……」
リリー  「ああ、はいはい。一応親がくれたなまえはあるのよ。武雄
ていうの」
ユキコ 「え?」
リリー  「中岡武雄」
ユキコ 「中岡……」笑って、
リリー  「おかしなおねえさんねえ」
ユキコ (笑って)「だって」
リリー  「まあいいわ。けど武雄って呼ぶのはなし。私はリリー」
ユキコ 「リリー」
リリー  「そう」
ユキコ 「私は有輝子」
リリー  「ユキコ?」
ユキコ 「山元有輝子」
リリー  「ヤマモトユキ…」
ユキコ 「こういう字を書きます」(ユキコ、書く)
リリー  「輝きの…有る…子…」
ユキコ 「名前負けです」
リリー  「やだ、ぜいたくっ、私なんか武雄なのに」
ユキコ 「勇ましいじゃないですか」
リリー  「勇ましすぎるのよ。いやもちろん私は世の中の(タケオって
人を非難してる訳じゃない)」ぶぶっ。(ふいた)
ユキコ 「え?」
リリー  「いや、昨夜のこと思い出しちゃって」
ユキコ 「昨夜のこと?」(少し身体が固くなる)
リリー  「いのうえええ!(叫んでいるように)だったっけ?」
ユキコ 「…え?」
リリー  「『男として恥ずかしくないのかああ』(まるで叫ぶように)」
ユキコ 「……それ、私ですか!?」
リリー  「『恥を知れ、恥を』(クッションを殴る音)『お前に良心と
倫理のかけらがあるか?』(再び殴る音)」
ユキコ 「酔っ払ってかなり興奮してたのは確かだけど、」
リリー  「34年いきてて初めて見たわ。拳で男を殴る女」
ユキコ 「!井上、他の女とあれしてて…、」
リリー  「うん、」
ユキコ 「…私、かなり好きだったから…」
リリー  「…私、かなり好きだったから…」
ユキコ 「!まさか!」
リリー  「よだれたらして髪逆立てて…化粧が地図みたいになって、」
ユキコ 「……」
リリー  「こんな人こんなになって、」
ユキコ (同時に)「みっともない」
リリー  (同時に)「何もない」
ユキコ 「…え?」
リリー  「何もない。何も持たない」
ユキコ ユキコ、一瞬つまった。(ひどく縮んだ) リリー、立ったまま抱
えていたカップをコトンと置き、ユキコの身体を抱えた。
リリー  「どうしようもないのにどうにもならない……どうにもならない
のにどうでもよくならない……そんなことばっかりよね」
ユキコ 「…………………」
リリー  「どうして男は男なんだろう?どうして女は女なんだろう?」
ユキコ 「……」
リリー  「でもそれもどうでもいい」
ユキコ 「…え?」
リリー  「こんな風にしてると……」
ユキコ 「………」(ユキコ、身体の力が少し抜けた)
リリー  「あああ…好い匂い」
ユキコ 「え?」(ユキコ、驚く)
リリー  「あ、いやそういうんじゃないわよ、だって私一応(女なんだか
ら)」
ユキコ と、ユキコのカップのコーヒーがリリーの背中にかかった。
リリー  「ひいぃぃ」
ユキコ 「あああぁぁ」
リリー  「ひゃっ、あっ(ちぃ)」
ユキコ 「やだ、ごめんなさい」
リリー  「あやや、背中、シーツ、あち、背中、Tシャツ、」
ユキコ 「ああああ」
『車がまた通り過ぎた』『もといた時間』
静かな間
リリー  ねえ、キスしていい?
ユキコ え?
リリー  駄目?
ユキコ …どっち?
リリー  え?
ユキコ オトコ?オンナ?
リリー  どっちならいい?
ユキコ おいおい。
リリー  リリー、ユキコをじっと見る。
ユキコ まあ……いいか。
二人、(申し訳程度に)キスをした。
ちょっとの間
リリー  ねえ、
ユキコ 駄目!…お願い、りりー、女に戻って。
リリー  私ずっと女よ…。(二人目を合わせたまま)佐々木さんに悪い
から?
ユキコ …説明できないから、こういう関係。
二人、互いを見た。(どうしようもない、はっきりとした逃げ
場のない間)
ユキコ (すごいエネルギーでリリーの身体をばしばし叩きながら)ゴボ
ウサラダだろうがスポンジだろうが持ってきたら喰ってやるさ。
リリー  何よそれ。あんたが食べに来なさいよ。
ユキコ あのゴミ溜めに?
リリー  私はあーた(あなた)と違ってきれい好きです。
ユキコ はいはい。(と、立ち上がる)
ユキコ、鍋に火をつけにいく。
リリー  また豚?
ユキコ 失礼ね、今日は牛(ぎゅう)です。   (コンロに火がつく)
リリー  あら珍しい。
ユキコ 文句言うなら、リリーにはお肉の切れ端もあげないわよ。
リリー  せこいわねえ。
と、ユキコ、鍋をかきまぜながら宇宙戦艦ヤマトを歌い出した。
ユキコ ンーンンンンンンー(銀河を離れ)ンーンンンンンンー(イスカ
ンダルへ)。
リリー  ヤマト?古いわねえ。
ユキコ そう?私かなり好きなのに。
リリー  かなり?
ユキコ かなり。
リリー  かなりじゃしょうがないわねえ。
ユキコ ンンンーん(はるばーる)ンンン(のぞむ)。
リリー  (つぶやくように)佐々木有輝子かあ……。
ユキコ 悪くないでしょ?
リリー  何だかきだらけだわ。それに語感も悪いし、
ユキコ そうお?ンンーンンンンン(宇宙戦艦)、ンン(ヤ・マ・)
リリー  さらばヤマモト……。
ユキコ え?(振り返る)
リリー  お腹すいたわね。
ポコポコ(鍋があたたまり煮え始める音)
おしまい