第105話 (98/04/03 ON AIR)
『春なのに…』 作:松田 正隆

登場人物
会社員A(男)
会社員B(女)



―オフィス街にある公園のベンチ。お昼どき。街の音…。
会社員Aがベンチにすわって、アイスクリームを食べている。
と、そこに会社員Bが、つかつかと近寄って来て、Aの前で
立ちどまる。
「何がおかしいねん。」
「え?」
「そやから何がおかしいねん。」
「は?…いや、別に何もおかしくないですけど。」
「今、笑うてたやろ」
「え?いや…」
「笑うてたんよ」
「そうですか…。そうかな…。」
「何で笑わなあかんの。」
「さぁ…。」
「私、そんなにおかしいか?」
「いや。」
「私のこと笑うてたんやろ。このベンチから、私のそこ
通るんを見ながら。」
「違いますよ。」
「じゃ、何がそんなにおかしいの?」
「おかしいって、いや別にホント、ぼくは何も笑ってた
わけやないですよ。」
「笑ったんやて、あたしの顔見て。」
「ええ?そうかな。そんなことないと思うけどな…。
ああ、それやったら、このアイスクリームですよ。」
「アイスクリーム?」
「ええ。これがおいしくって。」
「笑ろたんか」
「ええ。まあ、笑うたゆうか。そういう顔になったん
ちがいますかね。」
「ちがう!」
「そんな…」
「それは違うやろ。そんなんがおいしくって笑うたような
顔やなかったわ」
「あなた一体なんなんです?」
「なんというか…あれは、一言で言えば人をあざ笑うような
顔やった…。さげすむような」
「いいかげんにしてくださいよ」
「私にはなんでもお見通しや。」
「あのね。人のせっかくのお昼休みを邪魔すんのやめて
もらえます。向こう行って下さい。」
「いやや!」
「あんたね、さっきから何言うてるんですか。」
「春やいうても、外はまだ寒いんやで、なんでそんなもん
こんなとこで食べなあかんの。」
「人が何食べようと勝手やないですか。」
「勝手やない。腹こわすやろ。」
「ほっといてください。」
「ほっとかれへんの。ほっといたら私、みんなの笑いもんや。
やっとの思いで、すわることのできた課長の椅子やったんよ。
うちとこじゃ、あのポスト、女はなかなかなられへんのやから。
旅行もカラオケも結婚もナンもカンも犠牲にして、残業残業で、
手に入れた役職やったのに、それが昨日出た辞令で、4月から
私、品質管理部やて。笑うてまうわ。しかも、地方支店の…。
ホンマ信じられへん。会社は一体、私のことどう思うてんのや
ろ。ね、どう思う?私は、そこらへんの腰かけOLとは違うん
やで。なあ、どうやのん?」
「…はぁ…」
「みんながみんな、私のこと笑うてるような気がすんねん」
「そんなことないですよ。」
「笑うてんねんて…ざまあみろて、新人の女の子、イビりたおし
て来たバチやて…」
「…」
「あんたは大丈夫なん?」
「え?」
「人事異動」
「ああ、私はまあ、そんな大きな会社にいるわけでもないですか
ら…」
「ええなあ、うまそうにアイスクリーム食えて。うらやましいわ」
「そうですか?」
「なんも心配ごとなんてないんやろ」
ここで夜景を見ながら。
ほんとに?
いいじゃないか、そういうことにしとこうよ。
何よ、それ。
いいよもう、そういうことにしておけば…。どうせ思い出
せないんだから…。
そうですね、私たち夫婦なんだから、そういうことも、
一度や二度あったでしょう。
「いや、私にだってありますよ」
「ほんま?そんな顔してへんで」
「これは生まれつきですから」
「何があんのよ」
「まあ、いろいろと…すぐには語りつくせませんよ」
「私も、それ食べたなったわ」
「じゃあ、残り食べますか?」
「いらん」
「…いらんのやったら、もうそろそろどっか他の場所に行って
もらえます?」
「なんや。迷惑なんか。」
「あたりまえやないですか。」
「…そうか…。あのな、なんぼ地方の支店やいうても、うちとこは
一部上場やで。あんたとこみたいな吹けば飛ぶような小っちゃい
会社とはワケが違うねん。そこんところよう考えて、モノ言わな
あかんで。ええな。」
「はぁ。」
「はぁやないやろ。ヒトをバカにすんのもたいがいにしてもらわん
と困るわ。ナンでこんなときにアイスクリームやねん。なんぼ
春やいうても、まだ寒いやんか…全く…。なにかんがえとんねん。
ああもうハラタツ…。」
(と、ぶつぶつ言いながら去る。)
―男も、ぶつぶつとつづけて。
「…最近、あんなんが多なったわ。何でやろ春やろか。こないだも
地下鉄の駅で、ブツブツ一人ごと言うとるオッさんがおったわ。
…ああ、ちょっと待てよ…。あの女去年の春も、ここに来て、
べらべらしゃべっていったん違うかな。そうや、あの女や…。
だいたい、あの女の勤めとった会社、三年前に倒産したんやろ…。
それがなんで人事異動やねん。異動も何も会社あらへんちゅうねん。
いや、かわいそうにな、ホンマ…それにしてもこれうまいな。
どこで買うたんやったっ おっと、待て待て…オレもさっきから、
ひとりごと言うてへんか?あかんやないか。アブナイアブナイ。
今何時やねん。ええ!もう、こんな時間!休み終っとるやないか
…。なんや、もうまわりに人おらへんし。みんな仕事に行って
もうたんやろか…さ、オレも行こか…。(と、タメイキついて)…
ま、ええか。…アイスクリームでも食べとこ…。アラッ!もう
とけてもうてあらへんわ…。」
―小鳥のさえずり。