第104話 (98/03/27 ON AIR)
『僕とスイの時間』 作:み群 杏子




スイは僕のなかに住んで、僕のなかを旅し
ている。
お・は・よ・う。
お寝坊のスイが起きるのは、たいてい午後
だ。おきぬけにスイは、ぱたぱたと羽枕を叩
く。僕はそのほこりを吸って、コホンと咳を
する。
ごめんネ。でも、枕はいつもふんわりとさ
せておかなくちゃだめなの。いい夢を見るこ
とができなくなっちゃうもの。
スイは夢を大切にしている。
趣味はさかなつり。
でも、あまり上手くない。スイのつりざお
が、助骨の一本にからまると、僕の胸はひく
っと痛む。
今ね、あなたに着てもらおうと思って、セ
ーターを編んでいるの。
スイが編み続けているセーター。それは、
時間によって、色が変わる。太陽をアップリ
ケしたり、星を刺繍したりしながら、どこま
でも広がっていく。
私、読書も好きよ。
スイの本棚には、本がいっぱいだ。スイは
僕の記憶の数だけ、本を持っている。つらい
こと、いやなこと、記憶から消してしまいた
いことも、スイは本にしてしまう。
だって、いいことばかりが、人生じゃない
でしょ。でも、がっかりしないで。哀しみの
あとには幸せがくるわ。夜のあとには、朝が
くるように。
スイは、人生を達観している。
ね、ぶらんこに乗りに行こう。
スイは、家の近くの児童公園のぶらんこが
気に入っている。もちろん、ぶらんこをこぐ
のは僕だ。スイは僕のなかにいて、ぶらんこ
を感じている。
空が好き。晴れた空も、曇り空も、雨の日
の空も。
スイは、ぶらんこに乗って、僕の感情を揺
する。高く、低く。
おっと、散歩の時間だ。
でも、歩くのは僕だ。
もう、そっちじゃないったら。だめだめ、
右じゃなくて、左。
気がつくと、僕は、知らない街を歩いている。
私の両目は、シグナルの赤と青よ。ウイン
ク一つで、哀しみをストップさせることが出
来るの。
反対に喜びをストップさせてしまうことだ
って出来るのだ。赤と青、どちらの目をとじ
るかで。
ようこそ!スイズバーへ。
夕方になると、スイは、僕の胃袋のなかに
小さなバーを開店する。
メニューは、特製のカクテルだけ。スイの作
るカクテルはおいしくて、自分でも、つい飲
み過ぎてしまうらしい。
ジンをベースに、レモンを少々、ミントと
グランマニエを加えて、最後にこぼれ落ちる
涙を一滴。
僕はまだ飲んだことがない。どんな味か、
想像もつかない。
一人で飲むと、いつも酔っぱらっちゃうのよ。
スイの眠りは、そのまま、僕の眠りだ。僕
は羊を数えながら眠る。何匹まで、数えたの
か、いつも、朝になれば忘れている。スイは
僕のなかの会えない羊だ。
今日も一人でいい子にしてた?
スイは孤独を愛している。だから、僕にも
ひとりであることを望んでいる。僕がひとり
でいる時だけ、スイはスイでいられるのだ。
ねえ、いつまで、僕のなかにいるの?
そうねえ、明日か、それとも50年後か。
スイの好きなもの。さかなつり。ぶらんこ
。夢のかけら。幾つもの空。孤独。終わらな
い夜…
羊が98匹… 羊が99匹… 羊がひゃー
ぴき…(だんだん眠たくなってくる声)…
お・や・す・みなさーい…
                   END