第100話 (98/02/27 ON AIR)
『コマイヌ』 作:冬乃 モミジ





オス ザザザザザザザ、あれは波の音。
メス 今日も、風はのんびりといってるようね。
オス 声が聞こえる、あれは、魚売りの声だ。
メス この頃、海は穏やかだから、魚もたくさんあがるやね。
オス イカやら、鰺(あじ)やら、蛸(たこ)やら、鰆(さわら)。
メス 声が近い。こっちへ来るよ。海の匂いがするね。
オス いいや、あれは、ザルにあげられた魚の匂いだ。手押しのル
マに魚をのせて、ギコギコおばちゃんがやってくる。
メス 階段へ座るよ。ほら座った。タバコを出すよ。ほら出した。お
ばちゃんはいつもここで一服(いっぷく)するね。
オス さぁ、日が高くなる前に粗方(あらかた)売っちまお、毎度毎
度のひとりごと言って、立ち上がるよ。
メス がんばんなよ、おばちゃん。
オス もうすぐ、あの子らが通る。
メス ランドセルしょって、一列にならんで、前と後ろに大きな子。
オス 春が来たら、サトルとユリコも加わるな。
メス 新しい帽子、新しい制服、新しい靴。いいわねぇ。
オス ユウジは今度は中学だな。
メス 自転車で行くのねぇ。白い布鞄(ぬのかばん)を斜(はす)に
かけて。
メス 女の人が来るよ。
オス 泣いてるぞ。
メス こっちへ来るよ。わしに寄っかかた。泣いてるねぇ。
オス 音がする。鈴の音とは違うぞ。
メス 呼び音(よびね)だよ。近頃は離れていても呼び音でつかえ
られるんだよ。ほら、話してる。
オス 笑ってるぞ。今泣いた娘(むすめ)がもう笑ってるぞ。
メス いい人に呼ばれたんだろ。よかったねぇ。
オス 猫だ。あれはこの辺りのボス猫だった奴だろう。
メス この間若いのに譲っちまったって。
オス しばらく見なかったな。
メス いられなくなるのかね。
オス こっちへくるぞ。
メス 寂しそうな顔をしてるね。
オス いいや、まだまだ凛々しいよ。
メス がんばんなよ。ボス。
オス タバコの匂い。
メス マス屋のおじさんだ。もうそんな時間なのねぇ。
オス 上から2段目に腰掛ける。歌を歌うよ。
メス あんまり、上手じゃないけれど、おじさんの歌は
嫌いじゃいよ。
オス 気持ちよさげ歌うからだろう。
メス そうねぇ、おじさんの歌声は松原を通って、海に
流れていのよ。
オス タバコ好きのおばさんは魚の匂い。
メス 歌好きのおじさんはタバコの匂い。
オス あの人がやってくる。
メス わたしらのことを知ってるあの人がやってくる。
オス 今日もいい顔をしているな。
メス 今日もいい日でよかったねぇ。階段の真ん中で
わたしらにしかけるよ。
あのひと おまえたち、もうすぐ日の入りだよ。空が、赤いねぇ。
オス はい、赤いですねぇ。
メス 今日の、夕焼けですねぇ。
あのひと 明日も、色んなものをみてておやり。
メス はい。
オス はい、そうしましょう。
メス 月。
オス すっきりとした、いい月だ。
メス ザザザザザ、月夜に波の音。いいわねぇ。