X'mas Special (97/12/23 ON AIR) | ||
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『空耳なおうち』 | 作:み群 杏子 |
女 | ここが? … そんな、まさか、うそでしょう? 地図をたよりに捜し当てた「空耳ハウスサービス」は、細長い路地 の突き当たりにあった。捨てられたようなぼろぼろの屋台の上に 「そらみみ」と平仮名で書いてある。 電話番号も書いていないチラシを手にして、それでも来てみようと 思ったのは、「おうちあります。一戸建て。ふろつき、庭つき、家 賃3万。」という信じられない内容のせいだ。おうちありますとい う言い方も、不動産屋らしくなくていい。それにしてもここは… 屋台の不動産屋なんて聞いたことがない。だいたい12月の23日 のこんな時期に、そんなおめでたい物件がある方が不思議なのだ。 私は騙された思いで、今来た道を振り返った。そこに男が立っていた。 |
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男 | さ、さ、そんな所につったってないで、うちに御用なんでしょ。 遠慮せずに、どうぞ、どうぞ。 |
女 | つぎはぎだらけの蝶ネクタイに、古ぼけたタキシードといった いでたちで、男は私を屋台に押し込んだ。 |
男 | こんなかっこうで失礼しますよ。朝から知り合いの結婚式に出てき たもんでね。結婚式とはいいもんですな。ごちそうの山だ。私は魚 系が好きですよ。他人は私が上等の魚なんか食わないと思ってるら しいが、いやどうして、みかけによらず鯛や平目といった上品なの が好みでね。機会があればご相伴にあずかってるというわけでして… |
女 | あの… |
男 | ああ、わかってます、わかってます。例のおうちでしょ。あれはあ なた、もう二度とは出ないというそらみみな物件ですぞ。 |
女 | そらみみ? |
男 | いや、みみよりな物件ともいいますかな。ま、お座りください。 あれ、椅子が、と… 椅子がない。 |
女 | あの… |
男 | いや失礼。で、チラシはどちらで? |
女 | さっき、スーパーの前で、女の人から。 |
男 | ちっ、スーパーの前か。手近な所で手をうちやがったな。 |
女 | え? |
男 | いえいえこちらのことで。あれ、女房なんですよ。零細企業なもんでね。 事務員を雇う余裕がなくて。来年早々には一人、生まれるんですよ。 |
女 | あら。 |
男 | 今、おなかの中です。まったく、最近は物価は高いし、住宅事情は 悪いし住みにくい世の中ですな。 |
女 | でも、これ、本当なんですか。 |
男 | 一戸建てですよ、もっとも厳密に言えば離れといいますか、母家が あってそちらの方には大家が住んでいますけどね。しかし入口は別 ですし、干渉はされません。なんてったって庭つきですよ。 |
女 | 駅からは近いの? |
男 | そりゃあなた、贅沢というもんだ。駅からすぐの所に、こんな値で おうちがあるわけがない。 |
女 | 男はおうちという時、なんとも幸せそうな表情をするので、思わず 笑ってしまった。 |
男 | なにがおかしいんです? |
女 | いえ、別に。ごめんなさい。 |
男 | ところであなた、猫はお好きですかな。 |
女 | 猫? |
男 | ええ、猫です。 |
女 | 好きです。本当は飼いたいの。でもアパートだから。 |
男 | それじゃなおさらこれに決めなくちゃ。おうちだし、庭があるし、 猫には最適だ。一匹といわず、二匹、三匹飼っても大丈夫ってもんです。 |
女 | そんなにいらないわよ。 |
男 | さあ、どうかな。一匹飼えば、二匹三匹はあっと言う間です。 ま、とにかく見に行きましょうや。すぐそこですよ。 |
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女 | なるほど家はすぐ近くにあった。 |
男 | さ、どうぞどうぞ。 |
女 | 男は木戸を開けて、さっさと中に入っていく。古いけど感じのいい 家だ。南側には縁側もある。ふーん、けっこういいじゃない。 |
男 | ここでするお昼寝は、最高だニャー。 |
女 | ニャー?! わけがわからなかった。今まで男のいた所には一匹の猫がねそべっ ていたのだ。そんな、まさか、うそでしょう。 |
おばさん | 誰かいるの?(猫を見て)なんだ、ぶちかい。だめだって言ってるだろ。 さんまがほしけりゃ正々堂々と玄関から入ってきな。 なにもやらないっていってないんだからさ。(女を見て)おや、どちらさん? |
女 | いえ、あの、私、部屋を… |
おばさん | あれ、もう? なんて早耳なんだろ。今朝、張り紙出したば かりなのにさ。 |
女 | 張り紙? |
おばさん | 木戸に張ってあったのを見て入って来たんだろ。どう、いい 庭だろ。さ、中も見てよ。 |
女 | おばさんが案内してくれた部屋は、狭いけれど清潔で気持ちがよかった。 |
おばさん | あ、しろもきたよ。 |
女 | いつのまにか猫はぶちとしろの二匹になって、縁側でじゃれあって いる。ぶちの首にはつぎはぎだらけの蝶ネクタイが結んであった。 |
女 | さっきの男のネクタイと一緒じゃない。 |
おばさん | あはっ、これ、私が付けたの。のみとり用。でも、ちょっと した紳士みたいだろ。あんた、猫好きなの?だったら、飼ってもい いよ。私は自分の子供の世話だけでたくさんだけどさ。 |
女 | そらみみな物件は、はやみみな物件ってわけね。…私、ここに決めたわ。 |
おばさん | そうこなくっちゃ。 |
女 | 引っ越し、今日でもいいですか? |
おばさん | 今日?そりゃまた急だね。 |
女 | だって、すごく気にいったんですもの、このおうち。 |
おばさん | そりゃ、いいけど。だけど、もう遅いよ。明日にしたら? |
女 | ううん、まだ3時よ。大丈夫。荷物なんてほんのちょっぴりだもの。 おばさん、今日からよろしくお願いします。私とこの子たちと、 それから、新しい年には、もう一匹。 END |