第88話 (97/12/05 ON AIR)
『猫の喫茶店』 作:み群 杏子



信じてないんだろ?そりゃ、そっちの勝手だけどさ。
…そんな顔するなよ。いいよもう。…え?だからいいって
…わかったよ。じゃ、話すよ。始めからちゃんと、分かり
やすくね。
もう、半年になるかな。あの夢を見るようになってからさ。
感じのいい喫茶店なんだ。マスターもウェートレスもね。
ただ、どっちも猫なんだよ。夫婦なのかな。よくわかん
ないけど。仲いいんだ。それが、マスターの方がさ、
俺ン家にいたプータなんだ。18年生きて、去年
死んじゃったんだけど。
店の様子ははっきりと覚えてるの。だって、一度や二
度じゃないのよ。もう繰り返し同じ場所ばかり夢に見
るんだから。木製のテーブルとか椅子とか、古ぼけて
いるんだけど、なつかしいの。落ち着くの、すごく。
窓際の席に座ると、ウェートレスが注文を取りにくるの。
それが猫なの。よく見ると、私が小さい頃飼っていた
ちいちゃんなのよ。
ちいちゃん、こんなとこにいたんだって嬉しくなって、
私、ミルクティを一つねって言うの。黄昏時だった。
窓から夕日が差し込んで、お店全体が古い写真みたいで、
あ、これってどこかで見た感じって思うの。先客が
ひとりいるの。若い男の人。
でさ、コーヒー飲んでると、客がやってくるわけ。
かわいい女の子なんだよ。で、俺、その子に話しかけるんだ。
どんな話をしたのか覚えてないんだけど、とにかく
その人と話がはずんで、またここで会いましょうねっ
て言ったの。それからはいつもよ。いつも彼と一緒。
いつのまにか彼女とは恋人同士ってことになっちゃっ
ててさ、プータの店で待ち合わせてるんだ。客なんて
他に誰もいないんだよ。彼女と俺だけ。プータとウェ
ートレスが暇そうにトランプ占いをしてるんだ。
この間行った時には、ストーブが入っていたわ。その
ストーブの上でね、ちいちゃんがパンを焼いてくれたの。
夕焼けが、いつのまにかオレンジマーマレードに変わって
いて、それをつけて食べるわけ。もうおいしくって、
私たち、何枚も何枚も食べちゃうの。
食べながら、いろんな所に行く相談をしてるのよ。映
画とか遊園地とか海とか山とか。でも、夢のなかでは
どこにも行かないの。二人で、窓際の席にじっと座って、
夕焼けのなかで、パンを食べているの。
そのうちに私、帰る用事を思い出すのね。あ、お買い
物に行かなくちゃって。帰りたくないんだけど、でも
帰らなくちゃいけないの。
俺さ、なんだか本当にあるような気がするんだよ。
わかんないけど。どこかにあるんだよ、あの店。
じゃなけりゃ、同じ夢、何度も見るわけないだろ。
店の場所?どこだろう。そういえば…窓から何か見え
てたような気もするけど。
昨日、初めて気がついたの。いつもは話に夢中で窓の
外なんて見たことがなかったのよね。街路樹の木の葉
がすっかり落ちてしまっていて、あ、ここももう冬な
んだって思ってたら、通りの向こうから人が大勢歩い
てくるのよ。見たら、駅があるんじゃない。
駅だったんだよ。彼女が見つけたんだ。でも、二人と
も駅の名前がわからなくて、おい、プータって呼んだ
んだ。教えろよってさ。
ちいちゃんに聞いたの。ねえ、あれはどこって。
プータとウェートレスが同時にこっちを見たんだ。
その時、ちいちゃんが何か言ったの。聞き取れないほ
ど小さな声だった。でも、私には分かったの。それが
どこかってことが。
なんだ、その駅なら知ってるぜって、思ったよ。
明日、私、行ってみるつもりなの。きっと見つかるわ。
そのお店。
信じてないんだろ。そりゃ、そっちの勝手だけどさ。
俺、明日、行ってみようと思ってるんだ。駅前にある
筈だよ、あの店。プータがやっている、夕方だけの喫
茶店がね。

                     END