第87話 (97/11/28 ON AIR)
『HELLO,EARTH』 作:右来 左往



気がかりな女性がいた。その夜、帰宅途中の僕が、小高い
丘にある公園を横切る時、三脚を立てた望遠鏡で、夜空を
覗いているのだ。いや、違う。彼女の覗く望遠鏡の角度か
らいって、星を観察しているようではない。どうやら丘の
対面に遠くある、高層団地群の一角を覗き見ているような
のだ。
この公園を通る時、いつも僕は、団地の明りのついた光輝
く高層群を、まるで映画の「未知との遭遇」に出てくる、
飛び立つ前の巨大なUFOのようだと思っていた。
そんな団地を覗き見している女性。僕は勇気を奮って声を
かける。
「UFOの観察ですか?」
「のぞき」よ。
二の句の告げない僕に、彼女はにっこり振り返ってこう答
えた。
そう、「のぞき」。世間ではね。
でも、これでも私、「星」を観察してるつもりなの。
「星」?
……そう、「星」。あの団地の群れが銀河。そして、あの
一つ一つの窓の小さな明りは「銀河」を彩る星々。いろん
な星があるわ。一家団欒の明るく輝く星もあれば、たった
一人で住んでいる孤独な星もある。ほら、「星の王子様」
ってお話があるでしょ。あの少年の住むβー612みたい
な星。二つの活火山と休火山が一つ、小さなバラの花が一
本、時々芽を出すバオバブの木があるだけの小惑星。私は
もっぱらそんな孤独な星を見るのが好きなの。
彼女はそう言うと、望遠鏡の焦点を合わせて、僕に覗いて
みろと勧める。
団地の小さな窓から見える光景は、熱帯魚が泳ぐ水槽をみ
つめている若者。
あの子は高校生。一晩じゅうずっと、ああしている。自分
が熱帯魚になったみたいに水の星に住んでいる。
彼女は次に焦点を合わせる。
家具が何もない、真っ白な部屋でぼんやりしゃがんでいる
サラリーマン風の男。
あの星は空っぽ。部屋にある物をどんどん捨てちゃったの。
ね、こころなしか回りより白っぽいでしょ。物の影がない
から。一種の砂漠ね。あの星に草木が生えるには、まだ少
し時間がかかりそう。
観葉植物の緑に囲まれて、どうやら紅茶を一人飲む女性。
まるでジャングルね。
なるほど「星」だ。あの窓の向こうでは、孤独な小惑星の
住人が、僕らに見られてるとは知らずにひっそりと住んで
いる。彼等、一人一人が現代の「星の王子様」や「王女様」。
時のたつのも忘れて、僕はいろんな思いを巡らせて、
「星」を観察した。
ほら、見て。
彼女は僕に促す。
私の一番好きな時間が来たわ。
見ててね、もうすぐ団地の星たちは次々にまたたいて消える。
ほら、一つ、ほら、二つ、三つ……。みんなは眠りに就く
のね。まるでブラックホールに吸い込まれるように窓の明
りが消えていく。でも、今わたし達が見た、孤独なあの
窓たちだけが、一晩じゅうポッカリと明るいの。
そして、小惑星の明りを残して、団地の明りが消えてしま
うと、入れ替わるようにして、高層団地群の夜空に、本当
の「銀河」が瞬きはじめる。
そうして、あの人たちの窓明りは銀河の星達と一体になる。
時の流れが止まって、今と、何万光年かなたの見分けがつ
かなくなる。その時、私は思うわ。
あの人たちは、決してたった一人っきりじゃない。目に見
えない何かに包まれ、何かでつながっているんだ…って。
僕は、彼女の横顔に尋ねてみた。「君はどの星に住んでい
るの?」
私?私は……。
彼女がさした指先を目で追う僕は、星空を見上げていた。
「え?」と、振り向くと、……彼女も望遠鏡も消えていた。
もう一度、星空を見上げる僕の目にサーっと流れて消える
流れ星が飛び込んできた。
……いや、あれはUFOだったのかもしれない。
私はここ……。
取り残された僕の耳に、彼女の声が、宇宙の方から聞こえ
てきたような気がした。

                         終り。