第85話 (97/11/14 ON AIR) | ||
---|---|---|
『散歩道』 | 作:松田 正隆 |
|
…町の遊歩道を歩く老いた夫婦。(ただし、必ずしも |
|
---|---|
男 |
覚えてるかい? |
女 |
何をです? |
男 |
前にもこの道を歩いたことがあるんだ。 君と二人で…。 |
女 |
そうでした? |
男 |
そうだよ。忘れたの? |
女 |
…ええ。 |
男 |
何だい。しょうがないなあ。 |
女 |
いやだって、初めて歩く道だとばかり思ってたから。 |
男 |
初めてじゃないよ。見覚えあるだろ。そこの公園とか…。 私はさっきから気づいてたんだよ。 |
女 |
あら、そうなの…。 |
男 |
そうなのって…。 |
女 |
まあねえ…このあたりはどこも同じようなもんですから。 |
男 |
そんなことないよ。ちゃんと、少しずつ他の場所との違いが あるんだから。 |
女 |
そうかしら。 |
男 |
そうだって…。えっと…いつだったかな…ここ来たの。 |
女 |
じゃあ、ずいぶんと昔のことでしょう。 |
男 |
うん、そうかもしれないけど。確かに来たはずなんだ。あ、 ほら、あのポスト…赤いだろ。 |
女 |
ポストは赤いもんなんです。何言ってるんです。 |
男 |
いやいや、他より妙に赤いじゃないか。 |
女 |
そうですか…。 |
男 |
あのポスト、見覚えあるだろ。 |
女 |
いいえ。 |
男 |
どうして、あれ見たら思い出すじゃないか。 |
女 |
だから何を。 |
男 |
何をって、ほら…。だから、それを今思い出せないんじゃないか。 |
女 |
もういいじゃありませんか。 |
男 |
いやだって、くやしいじゃないか。 |
女 |
じゃあ、来たんですよ。歩いたんです、この道…。私も思い 出しました。…これでいいでしょう。 |
男 |
何だよ、それ。 |
女 |
だって、きりがないじゃありませんか。…それにほんとに歩 いたかもしれませんよ。この町はまるで迷路なんですから、 いつの日だったか、この道を気づかないうちに通ったのかも しれないわ。 |
男 |
…。 |
女 |
だって、もう永い間…、この町にいるんですから、私たち。 |
男 |
…そうだね…。 |
…間。 |
|
女 |
ねぇ。 |
男 |
うん? |
女 |
あのベンチから町が見えますよ。行きましょう。 |
男 |
うん。 |
…二人、町を見下ろす高台のベンチにすわる。 |
|
女 |
…私たちが生まれ、私たちが生きて来た町ですよ。 |
男 |
…ほんとだ、…これじゃ迷子になってしまうね。 |
女 |
でしょう…何だかとりとめもなくて…。 |
…間。 |
|
男 |
…でも、どうしてまた、ここから町が見えるって知ってた んだい。 |
女 |
え?あら…そうね…。どうしてかしら。 |
男 |
ほら、やっぱり。…ね、そうだろ、私たちは以前、ここに 来たことがあったんだよ。 |
女 |
…ええ…。そうかもしれませんね。 |
男 |
そうだよ。 |
女 |
…でも、何をしに来たのかしら、こんなところまで…。 |
男 |
プロポーズをしたんだよ。 |
女 |
ええ? |
男 |
ここで夜景を見ながら。 |
女 |
ほんとに? |
男 |
いいじゃないか、そういうことにしとこうよ。 |
女 |
何よ、それ。 |
男 |
いいよもう、そういうことにしておけば…。どうせ思い出 せないんだから…。 |
女 |
そうですね、私たち夫婦なんだから、そういうことも、 一度や二度あったでしょう。 |
…間。 |
|
女 |
…ずいぶん寒くなりましたね。 |
男 |
うん。 |
女 |
さ、陽が暮れますよ。…帰りましょう。 |
男 |
帰る? |
女 |
ええ。 |
男 |
…どこに。 |
女 |
え? |
男 |
どこにかえるんだい。 |
女 |
家にですよ。私たちの。 |
男 |
…家?私たちの…。 |
女 |
そうですよ。何言ってるんですか。 |
男 |
…あ、そうか…忘れてた…。 |
…二人、立ちあがる。 |
|
男 |
でも…それはどこにあるんだい? |
女 |
どこにって…え?…。ほんと…どこにあるんでしょう。 |
…二人たたずむ。そして途方に暮れる。 |
|
…街の雑踏がわきあがる。 |