第49話 (97/03/07 ON AIR) | ||
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『鏡の男』 | 作:み群 杏子 |
女 |
盗まれてしまった自転車の鍵や貰ったま まで期限がきれてしまった映画の招待券、 旅行するたびに増えていく写真、パンフレ ット、案内の書類。持っていてもしかたが ないのに、捨てるにしのびないものって言 うんだろうか、部屋の中が片づかないのは、 そんなものばかりが溢れているせいなのだ。 クローゼットの奥、本棚の後ろ、机の上、 食器棚や流し台、バスルームまでも一杯 になって、私は棚や引き出しを整理するこ とばかり考えている。今夜だって、気がつ けば、もう何時間も座りこんだまま、そん なガラクタたちと格闘していたのだ。 |
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男 |
やれやれ、ちっとも片づいてないじゃない か。 |
女 |
ふと声がして振り向くと、鏡の中に、いつ ものあいつがいた。 うるさいなぁ。なんで、夜になると出てく るのよ。 |
男 |
だって、鏡の中は、退屈でしょうがないん だぜ。 |
女 |
もう、何年になるだろう。この古い姫鏡台 の中に、男が住んでいることに気がついて から。 |
男 |
俺はずっとここにいたぜ。お前のおばあち ゃんのなぐさみ者だった時もあったし、お 前のおふくろのかくし男だった時もあった んだからな。 |
女 |
古い鏡台は、私の祖母が使っていたもので それを母が譲り受け、今は私が使っている。 |
男 |
鏡に向かって化粧をする時、女は最上の笑 顔を浮かべるんだ。まるで大切な思い人に 笑いかけるようにね。 |
女 |
たしかに鏡の中には男がいるのだ。それは 女たちの満たされない情念がつくり出した 幻の男だ。 |
男 |
片付けなんてやめちゃって、俺と遊ぼうよ。 |
女 |
女はいつだって鏡の男の誘惑に負ける。 それでいて、鏡の向こうに行こうとはしな いのだ。 ねえ、私のおばあちゃんの時も、あんただ ったの? |
男 |
中身は俺だけど、外見は今の俺とは違うん だ。おばあちゃんの作り出した男は、もっ と二枚目だったよ。歌舞伎役者のダンジュ ーローとかいうのに似ていたな。 |
女 |
じゃ、母さんの時は? |
男 |
クラーク・ゲーブル。 |
女 |
なによ、あんたが一番ひどいじゃない。 |
男 |
お前の好みだからさ。しょうがないだろ。 |
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間 |
女 |
鏡に向かうと、流れ出す水がある。川の ような、愛のような、とめどない流れ。 私はその流れの中で口紅を引いている。 口紅はいつ、向こう岸まで辿りつくのだ |
男 |
座っているあしのうらが冷たい。正座す るとお尻の方にじわじわと移っていく。 つめたくなったお尻は、おとこの手があ たためてくれる。手は胸が、胸は唇が。 片づかない感情が、あたためあって、あ ふれて、鏡の向こうとこっちで、通いあ っている。 |