第44話 (97/01/31 ON AIR)
『満員電車』 作:田中 守幸


電車、走行音。 「車内、混み合いましてまことに申し訳ありま
せん。窓側のお客様は窓に絶対手をーーー」 急に停車する音。
きゃっ!

 
  車内のざわめき。
あれ?どうなっちゃってるんだよ。

  車内アナウンス。
  「お急ぎのところ、まことに恐れ入ります。た
  だいま、三宮駅手前の踏切で事故が発生しまし
  た。復旧にはしばらく時間がかかる模様です。
  ご迷惑をおかけしますがはましばらくお待ち下
  さい」

  車内ざわめきが広がる。

参ったなあ・・・遅刻だよ。
あなた、何するんですか?
は?
(恥ずかしそうに少し小さな声で。しかし強
く。)あなた・・・痴漢!
え?僕が?
じゃあ、その手、なんですか!
手?
ほら、私の・・・身体に触れてる、その手!
この手?
きゃっ!・・・動かさないで下さい!
あ・・・これ、あなたのお尻ですか。すみません、
すみません。すぐにどけます・・けと゜・・混み
合ってるから・・・うーん、結構、動かすのは難
しい・・・と、・・・よいしょ。
あ!
え?
駄目です!動かさないで下さい!
でも、こうやって、こう動かさないと。
やめて下さい!
いや、だから、こうしか動けないから・・・
(少し大きな声で)痴漢!
よ、止して下さいよ、痴漢じゃないって!
だったらやめて下さい、指を動かすのは。
でもこうしないと・・・
やめて!
 間。
あの・・・いいんですか、このままで。
いいです、もう。
ほんとに?
いいです!いいですから・・・もう動かさないで
下さい。

  間。
う、動かさない方がつらいんだけど・・・
我慢して下さい!私も我慢してるんだから。

  間。
あの。
はい?
別のところに・・・何か、当たってるんですけど。
あ!・・・あ、いやー・・・
なんとかしてもらえませんか。
そういわれても・・・
何とかして下さい!
・・・ど、努力します。

  間。
話・・・しませんか。
どうして見ず知らずのあなたと電車の中で立ち
話なんかしなきゃならないんですか?
僕も努力します。だから協力して下さい。
話する、ということとあなたの努力とどう関係
するんです?
それで何とかなるんです。
何が、ですか?
だから・・・当たっているものが・・・
話してそれで解決できるんですか。
今、確かにそれは存在はしている。でも多少な
りとも目立たなくさせることは出来る。僕がそ
れを意識しなければ、あなたにとってそれは存
在しなくなる。そのためにさりげない会話をす
る。
なぞなぞみたいな事、言わないで下さい。
そういうものなんです、これは。
そういうものって・・・何?
 だから僕の、なんといえばいいのかな、身体の
 一部です。
身体の一部?こんなところにある身体の一部と
いうのは・・・あ。
判りましたか、これが何か。
・・・はい。
でも誤解しないで下さいね。今は、あなたの身
体にぴったりとくっついているというこの状況
から遺憾ながら僕としてはどうしてもそういう
状態になってしまうんです。わかりますね。そ
れをやめるためには僕の意識をどこか別のとこ
ろにおけばいいんです。重ねて言いますが僕は
痴漢ではありません。ですから是非ともこの僕
の提案に協力していただきたいんです。
わ、判りました。協力します。
理解していただいてありがとうございます。

  間。
どうぞ。
え、ええ。

  間。
どうぞ。
あ、はい。
どうしたんですか。お話、するんでしょ?
ええ。でもなんだか、いざさりげない話をする
となると、なんか、思いつかなくって。そうだ。
あなたから話しかけてくれませんか。
私?私、口べただから・・・。
どうして?僕とはこうしてちゃんと話せるじゃ
ないですか。
これってちゃんと話してる、っていえるんです
か。
ちゃんとじゃないけど・・ともかく普通に話し
てるじゃないですか。全然口べたって感じじゃ
ない。
それは多分・・顔、向き合っていないからだと
思います。顔見て話、してないから。
そんなものかな。
私、臆病なんです。
臆病?
顔見るとね、きっといろいろなこと一度に考え     
てしまう。それで臆病になるんだと思う。でも
こうして、声だけだと相手のピュアな部分だけ
を感じ取れて。今は・・そう、あなたの声って
どこか安心させてくれるところ、あるから。
なんだか裸にされるみたいで恥ずかしいような、
怖いような。
もし向かい合っていれば私、あなたの顔や服か
らあなたがどんな人か、いろんな事を想像して
しまう。顔や服なんてあなたの人格とは関係な
いわ。ということは結局その人の本質を見失わ
せることになるんじゃないかな。
でいろんな事考えて、見失うから臆病になる?
こんな風に純粋に声だけを聞いていたほうがあ
なたという人間が判るような・・。あなたとい
う人間をちゃんと見つめることが出来るからだ
からおびえない。
はは。僕の方が臆病になってしまいそうだな。
あなたはいつもこんな風に見ず知らずの人間と
ちゃんと話が出来るんですか。
そうだな。僕も初対面の人は苦手だな。特に若
い女の人は苦手かもしれない。そう考えると君
の言うとおりかな。
あ!
危ない、倒れる!
あー、助かったありがとう。
車内アナウンス「ご迷惑をおかけして申し訳あ
りませんでした。ただいまより運転を再開いた
します。次は三宮、三宮」
ほんとに、急に動き出すんだから。
あの・・・
あ、ごめん、手を握ったままだった。
あ、離さないで。
え?
握ったままでいいから。
いや、しかし・・・このままではまた・・・
あなた、とってもいい手してるのね。
どういう意味ですか?
へえー、手相も変わってるんだ。
あの、指、はわせないで下さい。
なぜ?
それはまずいよ。そんなことされたらちょっと
変な気になっちゃって・・せっかく、意識、な
くせたのに。
ごめんなさい。でも、もう少し。私、手相占い
にこってるの。
しかし。
あなたの手相、とても気になるの。
まあ、あっちの方は気にならない、と君がいう
なら。あ!だからそんな風に指を動かすと・・
へえ。あなた、結構堅い人なんだ。
え!
まじめでしょ?。
あ、そういうことか・・・。
何が?
何でもありません。ええ、ええ。それはよく人
に言われます。
でも、大きいのね。
え!な、何がですかあ!
人間としての器、というか・・・
あ、ああ、そういうことですか。そんなことな
いですよ。
優しいだけじゃなくって包容力があるひとなん
だ。
そうかなあ。
あなたみたいな人の彼女は幸せね。
そんなこと判るんですか?
手相って結構、雄弁なんですよ。
彼女かあ・・はは。はずれ。
はずれ。
僕、彼女なんか、いないですよ。
出会ったばかりの恋人。
いないって。
嘘。
ほんと。
うーん。私、手相占いで恋愛に関しては外した
ことないんだけどな。
でも今回ははずれ。
電車アナウンス。「まもなく三宮。三宮。踏切
事故により電車到着が遅れましたこと、心より
お詫び申し上げます。終点、三宮、三宮。ご乗
車ありがとうございました」
これであなたにちゃんと会えますね。
でも。
でも?
このまま、今は顔を見ずにお別れしません?
どうして?
なんか、また会えるような気がするんですよ。
でもまた会えたとしてもお互い誰か判らない。
きっと判ると思う。
なぜ?
きっとあなたの声、覚えていると思う。この街
のどこかで出会って、こんにちはって言って握
手したらきっと判ると思う。
僕は自信、ないな。
大丈夫。そんな風に手相に出てる。
まさか。
信じられない?
さっき外したから。
外してないかもしれない。
え?
試してみませんか。
何を? 
私の占い。

電車が停車する。ぶしゅうとドアが開く。
あ!

どやどやと人のおりる音。男、どんと突き飛ば
されてたたらをふむ。
いててて・・・

駅の雑踏。足早に去るたくさんの足音。
誰だったんだろう・・・あの人。

人が少しまばらになっていく。
ふふ。出会ったばかりの恋人・・か。あ!いけ
ね!遅刻だ!

構内を走り階段をあわてて下る男の靴音が次第
に遠ざかる・・・。