第42話(97/01/17 ON AIR)
『空中遊泳』 作:桐口 ゆずる



秋のある朝
小鳥がさえずっている
横田  目が覚めるなり、カーテン越しの明るい 陽射しに、思わず舌打ちをした。雨である ことを願っていたのに・・・なんの因果でヘ リコプターなんかに乗らなければならない んだ。同じ乗り物でも、自動車や自転車な ら平気なんだ。だって二つとも地に足がつ いているじゃないか。ふらふらと宙をさま 用なんて、まともな大人がすることじゃない。 もし、なにかあったらどうするんだ。 私には妻も子供もいるし、マンションのローン だって残っている。確かに、ヘリの搭乗者には 充分な保険がかけてある。天候だって、少しでも 崩れれば即座に飛行中止になる。しかし・・・ 高所恐怖症の私は、若者たちに空からまちを見 てもらおうというイベントの担当になってしま ったことを呪わずにはいられなかった。

 
ユーモアのある音楽
谷野 すいませ~ん、遅くなちゃって。
横田 勘弁してくださいよ、谷野さん。 もう出発しようとしてたんですよ。
谷野 寝坊しちゃって・・・あれ、横田さん、顔色 悪くありませんか?
横田 いえ、大丈夫です。オホン、それではミ ナサン、ヘリに乗るにあたって注意事項を 説明します。まず、勝手にヘリに近づかな いでください。プロペラが危険ですし、砂 ぼこりもかなりたちます。それから、乗り 込みましたら、シートベルトをしっかり身 につけてください。もちろん、ヘリ内は禁 煙です。飛行中勝手に立ち上がったりする ことは絶対にしないでください。
台詞の途中からヘリコプターのプロペラの回転
が高まり、横田は金切り声をあげて、搭乗者に
説明をすることになる。 ヘリコプターの離陸。
そして、騒音が少し遠のく。
谷野 ヘリがふわりと宙に浮き上がったとき、私たちは歓声をあげた。前に座っている役 所の横田さんは、肩を怒らせて緊張してい る。オジサンには、この浮遊感覚の刺激は ちょっとツライのかな。寝癖のとれてない 横田さんの後頭部が、いつになく可愛く見 えた。 ヘリは思ったよりもスムーズに上昇を続 け、右手に大きく旋回を始める。私と横田 さんの住むマンションも見える。綺麗に整 備された道路の街路樹が、頼り無い雑草の ようになり、小高い山と田園と新興住宅地 で構成される私たちのまちの全景が見渡せ るようになる。秋の柔らかい陽射しに、シ イやカシの紅葉が鮮やかに浮かび上がって、ミッソーニの織物のように美しい。こんも りと広葉樹の繁る山。単調な針葉樹の植林地はほとんどない。貯水池の水面の広がり に、真っ白な雲が流れ、稲刈りを終えた田 んぼの間に民家が点在している。私たちの まちって、こんなに美しかったんだ。新鮮 な驚きに胸が一杯になる。隣の男の子が、 水平線を見渡して『やっぱ地球って丸いな ぁ』と言った。
台詞の途中から、ヘリの騒音が、途中から美し
い自然を思わす音楽に変わる。
飛行を終えて、地上にて。
谷野 横田さん、素晴らしかったですね。
横田  そ、そうだね
谷野 あれ、酔いはったんですか?大丈夫ですか?
横田 いや、大丈夫。む、胸がいっぱいで・・・ ハァー・・・
谷野 そういえば、横田さん、いっぱい写真と ってたでしょ。アタシ、カメラ忘れたんで すよ。良かったら、焼き増しして下さい。
横田 ああ、いいですよ。
谷野 フフフ、横田さん、離陸の時、びびってはったでしょ。
横田 だって、私は前の席だから、ほら、足元 まで、ガラスですよ。地面が丸見えで、そ こがグーンと離れていくんだから、心臓が 縮むかと思いました。
谷野 ほんとはの乗りたくなかったんでしょ。
横田 オホン!
谷野 ずぼしでしょ。
横田 ・・・ほんと言うとね、昨日の夜は、てる てる坊主、逆さまに吊して寝ましたよ。
谷野 うわー、そこまでやる~!
横田  いや、それは冗談。でも、ヘリに乗れて 良かったですよ。感動しました。女房子供 にも乗せてやりたいと思いました。
谷野 それ、絶対いいですよ。横田さん、毎年 やりましょうよ、このイベント。今日の乗っ た人、ミンナ感動してますよ。高校生とか、大学行くために都会に出るけど、こんな美 しいまちやったら、将来ぜったい戻って来 たいとか、言ってましたモン。
横田 そうですか、それはよかった。
谷野 ぜったい、約束ですよ。
横田 分かりました。じゃあ、次のグループの 搭乗がありますから。
谷野さん、また後で。
ヘリの音が高まる。
そして、遠ざかり
横田 確かに素晴らしい体験だった。朝の憂鬱 はどこへ吹っ飛んでしまったのだろう。若 者たちの、一様に興奮して、素晴らしい感 想を語りあっている姿を見て、このイベン トを実現できて本当によかったと思う。けれど、恐らく来年はできないだろう。ずい ぶんと市の予算を使ってしまったからだ。 こんなことを続けていたら、おそらく議会 で問題にされるだろう。  
おい、キミタチ、これはきっと、最初で 最後の空中遊泳なんだよ。しっかりと楽し んでくれたまえ。  
そんな思いを込めて、私は若者たちの乗 るヘリコプターを見送った。