X'mas Special (96/12/22 ON AIR)
『 エッフェル塔の晩餐 』 作:桐口 ゆずる

トシオ  20代前半
カズミ  20代前半
初老の男 (日本人)


音楽  少し淋しげなシャンソン             

カズミ  アタシタチは12月のパリの街角であてもなく歩いていた。
どうしてこんなことになったのかな…
素敵なイブのディナーをと、昼間の市内観光で目星をつけていた
パリ6区のブラッスリー。赤い屋根を目印に扉を開けようとすると、
なにか様子が違う。
客は一人も見当たらず、テーブルの料理や酒を囲んでいるのは、
コックやギャルソンたち。その一人がアタシタチを無言で追い払っ
た。その次の店も、その次の店も似たようなものだった。

音楽が自動車の行き交う街角の雰囲気変わる。
12月24日のパリ6区のはずれ。
『マロン・ショー! マロン・ショー!』と
歩道で焼き栗を売る声が聞こえる。
カズミ
トシオ、焼き栗買お。
トシオ 栗?
カズミ ほら、あの人が売ってるやつ。
トシオ え?あれ、栗売ってるんか。あんちゃんが焚き火してる
んちゃうか。
カズミ ちゃうよ。トシオ、おサイフ。
トシオ あ、うん。
トシオ カズミが指一本立てると、やる気のなさそうな黒人が、ドラム缶に
網をかざして焼いた栗をいくつか小さな紙袋につめた。
カズミが小銭を払うと、黒人はニヤリと笑ってなにか行った。
カズミ 『ジョワイヨ・ノエル』やって、トシオ
トシオ なんや、それ?
カズミ クリスマスを楽しんでねって。
トシオ クゥー! 楽しむクソもないやろ、レストラン開いてへんから、
メシも喰われへんやんけ。
カズミ レストランちゃうよ、アタシラが回ったのはビストロとか
ブラッスリーやん。
トシオ 同じようなもんや。
カズミ まあ、ええけど…ほんまに知らんかったよね、
クリスマス・イブは閉まってしまうなんて。
あ、これ美味しい。
トシオ オレも一個くれよ。
トシオ ぶっきらぼうなふりをしていたけど、オレは、カズミが機嫌を
悪くしてるんじゃないか、気が気ではなかった。そもそもクリ
スマスをパリで過ごそうと誘ったのはオレのほうだった。
最近はカズミとのデートも盛り上がりに欠けていたからだ。
このままだと別れてしまうんじゃないか。それも仕方ないかも
しれない。けれど、ここは一発、もう一度やり直してみようか。
そう決心して、車を買い換える予定の貯金を切り崩したのだった。

カズミ 美味しいと思えへん
トシオ うん、けっこういけるな、これ。
カズミ はい、あと三つやから、ゆっくり食べて
トシオ ケチになこと言うなよ。
カズミ そやけど、この栗が、もしマッチやったら…
トシオ マッチ? なんで、マッチやねん。
カズミ そやからマッチやったら、三本すったらアタシラは死んでしまう。
トシオ 不吉なこと言うなよ。
カズミ そやから『マッチ売りの少女』やんか。
トシオ なんや、アンデルセンか。熱ーッ! なんやこれ、
舌火傷してもうた。
カズミ (笑って)慌てモン! トシオはどう思った、赤い屋根の窓越
しに見えた料理。
トシオ 美味しそうやった。
カズミ あったかそうな店の中に、クリスマスの飾り付けがしてあって、
ケーキとかも並んでて。
トシオ よだれがでてきた。

カズミ コックさんとか、ギャルソンが乾杯してたよね。
『おつかれさん』って感じで。
トシオ 殴ったろうかと思たで、オレ。
カズミ アタシラはあの中に入られへん。外からぼーっと見てるだけ。
足を棒にして歩き回っても、お金があっても、アタシラしょせ
んふらっと来た観光客やから、パリの街で『おつかれさん』って
クリスマス・イブをお祝いする資格がないんやなって。
まるで、『マッチ売りの少女』や。
トシオ …ごめん! オレがしっかり下調べもせんと、こんな旅行に
さそったせいや。カズミ、ほんまは怒ってんねやろ。
カズミ  そんなことないよ。トシオのせいちゃうよ。アタシも雑誌のバ
リ特集とか、パリガイドとか見て有頂天になってたけど、気つ
けへんかったから。
トシオ …ほんまか。
カズミ  ほんま。
トシオ  それやったら、ええねんけど…どうする、これから。
なんぼなんでも焼き栗だけってわけにはいかへんやろ。
カズミ  (考えて)エッフェル塔行こか。そうや、エッフェル塔登
りたいな。
トシオ えッ、まだ歩くんか。
カズミ うん、今日は一晩中でも歩くよ。
トシオ おい、冗談やろ。
カズミ  ほら、見て。あそこにパン屋さんがある。あそこで、いろいろ
買って、エッフェル塔の上で食べよう。
トシオ  え~、クリスマス・イブにパンか…フライドチキンぐらいあ
ったらええねんけどな…おい、走らんでもええやんけ、
カズミ、待ってくれ!

音楽 軽快なエッフェル塔の展望台上。

初老の男 なるほど、そうだったのかい。
トシオ 笑うでしょ。
初老の男 いや、そんなことはないよ。
トシオ  そんでも、ガツガツ二人で食べてんの見たら、なんやアイ
ツラって感じやったでしょ。
初老の男  いや、ずいぶん威勢のいい食べっぷりなんで、つい見とれ
てしまってね。失敬した。
トシオ カズミが競争や言うて、ここまで階段登ってきたから、
食いモン、目の前にして野獣になりましたよ…
そやけど、エッフェル塔って、ごっついしぶいですよね。
東京タワーみたいなもんやろ思てたら、ぜんぜん雰囲気
ちゃうし。
初老の男  そうだね。デザインのディテールとこのくすんだ色が
いいんだろうね。
トシオ デテール?
初老の男 そう、細かい骨組みのデザインがね。
トシオ あ、そうですよね。凝ってますよね。めっちゃ、かっこいい。
初老の男 来てよかっただろ。
トシオ エッフェル塔はええんですけど、その前が最低ですわ。
初老の男 そうかな。
トシオ そうですよ。こんなことやったら、ケチらんともっと高いツ
アーにしたらよかった。ホテルかって、南のほうの、ほんま
周りになんもないとこに、ビジネスホテルみたいなんがぽつん
とあって。雰囲気なんかぜんぜんないんですわ。
初老の男 アメリカンタイプのホテルだね。最近そういうのが増えてるんだ。
トシオ 昼間はよかったんですよ。カルチェ・ラタンとか言うごじゃご
じゃした裏通りあたりはおもしろかったし、そっからもうちょ
っと離れた方に行ったら、けっこう、お洒落なカフェとかブテ
ィックとかあって、やっぱりパリやでーて満足してたんです。

初老の男 ああ6区の方だね。あの辺りも変わった。
トシオ やっぱりくわしいんですか、パリ。
初老の男 いや、そんなこともないが、初めて来たのは30年ほど前かな。
貧乏学生が憧れにまかせて、無理してやって来たんだよ。
まだ、1フラン60円か70円の頃のことだから、そりゃあ、
ひもじい思いは今夜のキミタチの比じゃなかったよ。
ブラッスリーでゆっくりと夕食をなんてのはたまのことで、
たいていは、バケットを齧ってたし、有名なカフェに行けば
エスプレッソ一杯で3時間も4時間もねばったもんだ。
トシオ へぇー。そう思うと日本人も金持ちになったんですよね。
オレかて、無理したら有名なホテルに泊まれるもんな。
初老の男 そうだね。もう、お湯の出ないホテルで凍えたり、ぎしぎし
鳴るベットで一夜を明かす日本人も少ないかもしれない。
でもね、年をとったからかもしれないが、最近パリで過ごした
貧乏旅行が懐かしくてね。
トシオ あ、なるほどね。わかります、ウチのオヤジも酒呑んだら、
若い時の話しますもん。オマエラは苦労を知らんとかね。
初老の男 そうだね…おや、彼女がもどってきた。
カズミが戻ってくる。
カズミ けっこう混んでた。
トシオ ほんま。
カズミ …こちらは?
トシオ オレラががつがつパン食べてるもんやから、見てはってんて。
カズミ いやァ恥ずかしいです。
初老の男 いやいや。若さと食欲ってのは素晴らしいものだよ。
カズミ
トシオ な、ちょっと変わったヒトやろ。
カズミ そんな、失礼でしょ。すみません、トシオって口が悪いんです。
トシオ このヒトな、けっこうパリは詳しいらしいで。
カズミ へぇー、そうなんだ。
トシオ オレ、ちょっと。
カズミ トイレ?
トシオ うん。
トシオ、トイレに行く。
初老の男 素敵なイブを過ごされた話をきかせてもらっとったんですよ。
カズミ トシオ、もうそんな話したんですか。まぬけなお上りさんで
しょ、アタシラ。
初老の男 いや、そんなことはない。ワタシが若い頃は、日本の街がね、
実際貧しかったんだが、その貧しい雰囲気が嫌でね、フランス
かぶれだったワタシは、ぜひパリに住みたいと思ったもんだ。
だが、金がない。それでも、無理して来た。だが、安宿に泊ま
って、通訳のアルバイトをしたところで、
ろくな生活はできやしなかった。右も左も分からんものだから、
惨めな思いは数えきれないほどだった。もちろん、それでも楽
しかった。毎日見るもの聞くものが新鮮で、若さと暇に任せて
バリの街をうろついたよ。
カズミ でも、ワタシラはこれから毎年パリに来るってわけじゃないです
から。
初老の男 そうかい、そりゃぁ、残念だね。でもそれでもいいじゃないか、
今夜のことは。普通の観光客には出来ない体験かも知れんしね。
カズミ そうですね…
初老の男 どうしたんだね。エッフェル塔を駆け上がったわりには、
元気がないな。
カズミ …パリの夜景って淋しいですね。六甲山から見た神戸の夜景
のほうがずっと華やかやわ。
初老の男
カズミ アタシタチ、どう見えました。
初老の男 仲がよさそうだったな。
カズミ ほんとはアタシとトシオって合わないんです。
初老の男 ほう、それはまたどうして?
カズミ  趣味が違うって言うんですか。トシオはけっこう自動車とか
好きみたいですけど、アタシはぜんぜん興味ないし、トシオが
選ぶ車って可愛くないんです。
初老の男 なるほど。
カズミ  すぐに、ウィンドゥに黒いフィルム張りたがるし、お尻に羽根
とかつけたがるです。
初老の男 なるほど。
カズミ  トシオはファションに興味ないし、ほんというと、パリに
来たのも無理してるんです。アタシが喜ぶと思って。
初老の男 いい奴じゃないか。
カズミ  そうなんです、根は優しいいい人なんです。でも、センスが、
違うって言うのはやっぱり疲れるんです。だからデートしてても
つい無口になったりして。
初老の男 じゃあ、なんで付き合ってるのかね。
カズミ  なんとなく、ずるずるとです。ほんと言うと、今度の旅行に来
たのも、この先どうするるか決めようと思ったんです。
初老の男 で、どうすることにした?
カズミ 迷ってるんです。
初老の男 でも、今夜は楽しかった。
カズミ なんで分かるんですか?
初老の男 エッフェル塔を駆け上がる若者に、楽しくない奴はいないだろう。
カズミ  まともな食事が出来なかったのは残念でしたけど、かえって
アタシ、なんか自由になれたような気がするんです。
初老の男 …明日の予定はどうかな。
カズミ まだ、決めてないんですけど…
初老の男  どうかな一緒にお昼でも。素敵な話を聞かせてもらったお礼に、
なにかご御馳走しよう。
カズミ え、いいんですか。
初老の男 もちろん。そうだな、お昼にサン・ジェルマン・デ・プレの前で。分かるか
な。
カズミ そこだったら、アタシタチにも分かります。
初老の男 じゃあ、楽しみにしてよう。
カズミ あっ、もう帰りはるんですか?
初老の男 うん、そろそろね。
カズミ ありがとうございます。さようなら。
初老の男、去る。
間もなくして、トシオが戻ってくる。
トシオ あれ、あの人は?
カズミ 今さっき帰りはった。
トシオ ウソォ、オレ、気きかして、コーヒー買ってきたのに。
カズミ、二つに呑むか?
カズミ うん。あのね、あの人が明日、お昼御馳走してくれるって。
トシオ  ウソォ~、ほんまか、それ。あのおっさん、面ろかったけど、
なんか怪しかったで。ひょっとしたら、喋っとるとこみんな大
ぼらちゃうかて、オレ、思たもん。
カズミ  そうかも知れへんけど、別に嘘でもええやん。トシオかって、
わざわざコーヒー買ってきてんから、まんざら嫌でもなかって
んやろ。
トシオ まあ、そらそうやけど…ブツブツ…
カズミ (コーヒーをすすって)あったかい…
トシオ そうやな、冷えてきたやろ。
カズミ …ひよっとしたら、あの人、サンタさんかも知れへん。
トシオ なんや、それ。カズミ、なんか貰うたんか?
カズミ うん。
トシオ えッ! なに貰うてん?
カズミ ないしょ。
トシオ …ないしょって、なんで教えてくれへんねん。
カズミ ヒミツ。
トシオ うわァ~、なんやコイツ。
カズミ さあ、アタシラも帰ろ。
トシオ えッ! まだコーヒー呑んでへんやろ。
カズミ 下まで、競争。ヨーイ、ドン!
トシオ おい! 待ってくれ、アツアツアツ…
ウワァ~、ズボン、ビシャビシャやんけ、
おい、カズミ!

                         【 おしまい 】