第27話 (96/10/04 ON AIR) | ||
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『やさしい時間』 | 作:み群 杏子 |
女 |
さっき、グレがやってきた。カーテンを引 いた部屋で、私は、とっておきのお茶のセッ トを出して、グレをむかえた。 |
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男 |
ひさしぶり。 |
女 |
さ、ミルク、飲んでね。ビスケットもある わよ。 |
男 |
おいしそうだね。 |
女 |
やだ、そんなに鼻をくんくんさせないで。 |
男 |
だって、かなちゃん、いいにおいがするよ。 |
女 |
これでも女の子だからね。 |
男 |
大人の女って感じだな。 |
女 |
元気だった? |
男 |
うん。かなちゃんは? |
女 |
… 私、バスに乗ってたんだ。 |
男 |
バスに? |
女 |
夢の話。バス代がなくて困ってたら、横か ら「これあげる」って、切符くれる子がいて、 見るとね、小学校の時、好きだった男の子だ ったの。その子、切符を3枚持ってて、一枚 は自分ので、もう一枚は私にくれて、あと一 枚残っているのね。「どうしようか」って言 うから、「明日つかえば」って言ったの。そ したら「だって、明日は、もうないんだよ」 って言うのよ。私、悲しくなって… ねえ、 どうして明日はないの。 |
男 |
きっとさ、その日が、その子の卒業式だっ たんだよ。そのバスは、学校に行くバスで、 だから、明日からは、もう乗らなくていんだ って、そういう意味だよ。 |
女 |
違うわ。乗らなくていいんじゃなくて、そ の子はないって言ったのよ。明日はないっ て。 |
男 |
… かなちゃん、参ってるね。 |
女 |
… |
男 |
心がさ、今、ちょっと、参ってるでしょ。 |
女 |
わかる? |
男 |
元気になるいい方法、教えてあげようか。 かなちゃんの大切なものとか、気に入ってる ものとか、一つ一つ、思い浮かべるんだよ。 ほら、やってみて。 |
女 |
グレの写真。 |
男 |
サンキュウ。 |
女 |
ペパーミントのにおい。アンモナイトのぺ ーパーウエイト。回転木馬。落ち葉に埋まっ た秋の公園。 |
男 |
公園は僕も好きだ。 |
女 |
散歩したよね、よく。 |
男 |
今でも行く? |
女 |
うん。 |
男 |
今度、あそこで待ち合わせしようよ。 |
女 |
グレと? |
男 |
その時は、みんな連れていってあげるよ。 かなちゃんのおばぁちゃんとか、おじいちゃ んとか、学校の時の友だちとか、かなちゃ んが好きだった、あっちへ行った人、みんな さ。 |
女 |
約束だよ。 |
男 |
うん。 |
女 |
グレ、あっちへ行って、3年になるね。 |
男 |
もうそんなになるんだね。 |
女 |
18歳だったね。 |
男 |
うん。 |
女 |
父さんは、犬にしては長生きだって、言っ てたけど、でも、悲しかった。だって、私よ りも、若かったんだから。 |
男 |
18年、僕は楽しかったよ、かなちゃんと 一緒で。 |
女 |
本当? |
男 |
本当さ。 |
女 |
… 私は目を閉じる。目の中で、虹色の回 転扉がつぎつぎに開いて、なつかしい人たち があらわれては消える。おじいちゃん、おば あちゃん、小出君、都倉君…、そして、グレ も。グレは、灰色の尻尾を振って、私を見て いる。 |
END |