第27話 (96/10/04 ON AIR)
『やさしい時間』 作:み群 杏子


さっき、グレがやってきた。カーテンを引
いた部屋で、私は、とっておきのお茶のセッ
トを出して、グレをむかえた。
ひさしぶり。
さ、ミルク、飲んでね。ビスケットもある
わよ。
おいしそうだね。
やだ、そんなに鼻をくんくんさせないで。
だって、かなちゃん、いいにおいがするよ。
これでも女の子だからね。
大人の女って感じだな。
元気だった?
うん。かなちゃんは?

… 私、バスに乗ってたんだ。
バスに?
夢の話。バス代がなくて困ってたら、横か
ら「これあげる」って、切符くれる子がいて、
見るとね、小学校の時、好きだった男の子だ
ったの。その子、切符を3枚持ってて、一枚
は自分ので、もう一枚は私にくれて、あと一
枚残っているのね。「どうしようか」って言
うから、「明日つかえば」って言ったの。そ
したら「だって、明日は、もうないんだよ」
って言うのよ。私、悲しくなって… ねえ、
どうして明日はないの。
きっとさ、その日が、その子の卒業式だっ
たんだよ。そのバスは、学校に行くバスで、
だから、明日からは、もう乗らなくていんだ
って、そういう意味だよ。
違うわ。乗らなくていいんじゃなくて、そ
の子はないって言ったのよ。明日はないっ
て。
… かなちゃん、参ってるね。

心がさ、今、ちょっと、参ってるでしょ。
わかる?
元気になるいい方法、教えてあげようか。
かなちゃんの大切なものとか、気に入ってる
ものとか、一つ一つ、思い浮かべるんだよ。
ほら、やってみて。
グレの写真。
サンキュウ。
ペパーミントのにおい。アンモナイトのぺ
ーパーウエイト。回転木馬。落ち葉に埋まっ
た秋の公園。
公園は僕も好きだ。
散歩したよね、よく。
今でも行く?
うん。
今度、あそこで待ち合わせしようよ。
グレと?
その時は、みんな連れていってあげるよ。
かなちゃんのおばぁちゃんとか、おじいちゃ
んとか、学校の時の友だちとか、かなちゃ
んが好きだった、あっちへ行った人、みんな
さ。
約束だよ。
うん。
グレ、あっちへ行って、3年になるね。
もうそんなになるんだね。
18歳だったね。
うん。
父さんは、犬にしては長生きだって、言っ
てたけど、でも、悲しかった。だって、私よ
りも、若かったんだから。
18年、僕は楽しかったよ、かなちゃんと
一緒で。
本当?
本当さ。
… 私は目を閉じる。目の中で、虹色の回
転扉がつぎつぎに開いて、なつかしい人たち
があらわれては消える。おじいちゃん、おば
あちゃん、小出君、都倉君…、そして、グレ
も。グレは、灰色の尻尾を振って、私を見て
いる。
               END