第26話 (96/09/27 ON AIR) | ||
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『 ジャングル 』 | 作:桐口 ゆずる |
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僕 |
行く手には、うっそうとしたアマゾンの密林 が立ちふさがっていた。ここからは、歩いて行 かなければならない。ガイドに尋ねると、集落 までは数時間だという。はたして、水の塊が融 けるまでにたどり着くことが出来るか?いや、 フィツジェラルドは、巨大な船を山越えさせ たのだ。この屈強な男たちが氷の塊ひとつ山 越えさせられなくてどうする。 しかし、道なき密林を進むのは、容易なこと ではなかった。氷が融けて滴り落ち、男たちの 額には汗がにじんだ。一刻も早く辿り着 かなければ。文明の象徴である、この姿を変え 未来 た水の塊を、未開の原住民に見せてやるのだ。 無垢な人々の汚れなき瞳が、初めて目にする神 の姿に恐れおののくことだろう。 |
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遠くに女の悲鳴。 |
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僕 |
その時、女の悲鳴が聞こえた。その声色には 文明の香りがした。でも?なぜ?こんな未開の 土地にレディーが。いや、そんなことを考えて いる暇はない。一刻も早く、彼女を救わなけれ ば。 |
遠く、「カッちゃんーカッちゃんー」の声 |
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僕 |
その声は、タマコーなぜだ?なぜ、こんな所 にタマコが! |
珠子 |
カッちゃん、根きり虫! |
僕 |
珠子、ここはアマゾンだぞ。氷が、氷が融け る…あ……え~ |
珠子 |
夢見てたん、カッちゃん。 |
僕 |
……(ため息)そうみたいや。 |
珠子 |
アマゾンって、なに? |
僕 |
モスキートコーストや。 |
珠子 |
なに? |
僕 |
昨日見たビデオ。 |
珠子 |
ああ、映画。 |
僕 |
それより、タマ、人が寝てる時に変な声出す な。夢見が悪いやないか。ああ、気分ワル~。 |
珠子 |
そやかて、ラベンダーの植え換えしてたら、 根きり虫がうじゃうじゃ出現してきてんから。 |
僕 |
そんなもん、踏みつぶしたらええやないか。 |
珠子 |
怖い。カッちゃん、やってよ。 |
僕 |
今、気分が悪い。後でやったる。 |
珠子 |
ほら~。 |
僕 |
そやけど、タマも好きやな。先週もなんかや ろ。 |
珠子 |
あれは、ポーチュラカの挿し木。どんどん 伸びるから、きって挿し木しといたら、また増 えるやろ。 |
僕 |
なるほど。 |
珠子 |
ねえ、カッちゃん。 |
僕 |
今度は、なんや? |
珠子 |
ベンシャミン、欲しいと思わへん。それも おっきい奴。 |
僕 |
高いんちゃうんか。 |
珠子 |
ううん。例の植木屋で安いヤツ見つけてん。 |
僕 |
そんなんしてたら、この部屋、ジャングルみ たいになるぞ。 |
珠子 |
ええやん。ジャングルみたいにしよう。 |
僕 |
オエッ。気分ワル~。 |
珠子 |
なんでよ。素敵やんか。 |
僕 |
珠子が広くもないベランダに鉢植えを置きは じめたのは、仕事を辞めてからだった。少しは 殺風景でなくなる。そう喜んでいたのも、束の 間。あっと言う間に、コンクリートは緑に覆わ れた。 |
珠子 |
佳子がね「ポトス、挿し木で増やしたから、 あげる」って言うてたやんか。でも、車のの中に 置いといたら、枯れてしまってんて。 |
僕 |
なんで、車の中に置いとくんや。 |
珠子 |
知らん。きっとドライブに連れていったん ちゃう。 |
僕 |
なんで、連れて行くねん。 |
珠子 |
可愛いからちゃう。 |
僕 |
赤ちゃんを炎天下の車中に置き去りにして死 なす親がいた。でも、鉢植えをドライブに連れ て行って、枯らす奴いるだろうか? |
珠子 |
でも、ほら、この間、前の車の中で、植木 に話しかけている中年の女の人がいたやんか。 |
僕 |
ああ、信号待ちしてる時な。でも、あれはや な、助手席に子供が座ってて、鉢植えを持たさ れててんで。シートの陰になって、僕らから見 えへんかっただけや。 |
珠子 |
違うよ。おるんよ。植物に話しかける人。 |
僕 |
植物を友とするのは、孤独な殺し屋レオンだ けではなかったのだ。しかし、レオンは鉢植え に話しかけたりはしなかった。彼が、鉢植えを友 としたのは、話しかける必要がなかったからだ った。 |
珠子 |
今、ベランダガーデニングが流行ってるで しょ。そやけど、究めていくとやっぱり庭がえ えわね。 |
僕 |
一戸建てか?夢のまた夢やな。 |
珠子 |
そんなぁ、せつないなぁ。 |
僕 |
タマコ、そんな植木の世話したいんやったら、 いっそ田舎にでも引っ越すか?田舎いったら、 庭ぐらい手に入るやろ。 |
珠子 |
田舎か……それもええね。 |
僕 |
珠子は田舎が嫌いだった。だから、ガーデニ ングを究めると言っても、しょせん、ベランダ に溢れるほど鉢植えを並べるのが精一杯のとこ ろだろう。そして、僕が「この狭いマンション をジャングルにするつもりか」と文句を言う。 しかし、都会のちっぽけなマンションがジャン グルになるはずもなかった。慎ましい暮らしの 中の、小さなオアシス。ロマンは?冒険は?そ んなものは、あるはずもなかった。 |
珠子 |
植物ってね、正しく世話したら、ちゃんと 育つんよ。そやから、あたし好みやわ。人間 の子供はそうはいけへんやんか。一生懸命育て ても、思うような子になってくれるとはかぎれ へんやん。大抵は、親の期待を裏切る。 |
僕 |
それ、僕のこと言うてんのか。 |
珠子 |
そんなんカッちゃんだけちがうよ。 |
僕 |
それやったらええけど。 |
珠子 |
健康に育つかな、とか、学校の勉強につい ていけるかな、とか、いじめられへんかな、と か、非行に走ったり登校拒否せえへんかな、と か、心配事は山ほどあるやん。子供産まへん人 多いはずやわ。 |
僕 |
そやけど、このマンションでも、子供いては るとこは、二人か三人いはるやろ。 |
珠子 |
そうやって、産んでしまえる人はええんよ。 |
僕 |
正直言って、僕も今、子供が欲しいと言う切 実な想いはなかった。でも、子供のない人生を 決意することも出来なかった。自分の子供が出 来る。子供を育てていく。それはあまりにも、 茫然として、なにがどうなるか見えないことだ った。適当にやって、それでなんとかなるよう な気もするし、とんでもないようなことが起こるよう な気もする。 冒険、そう、これこそ冒険かも知れない。 |
珠子 |
カッちゃん、なに考えてるん? |
僕 |
ううん、なんでもない。 |
珠子 |
なによ、遠い目してたくせに。 |
僕 |
僕は、自分の考えを珠子には、まだ、言わな いことにした。 |
【 おしまい 】 |