第24話 (96/09/13 ON AIR) | ||
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『誰もいなくなった八月』 | 作:松田 正隆 |
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人は、自分が物語の語り手の側でなく、 本当は、いつの間にか、何ものかから語られている側に なってしまっていることに気づいていないのである。 『砂浜に、波がさざなむ音がする』 |
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高志 |
私は八月のある日、洋子と出会った。 夕方近くの浜辺だった。その日は台風が近づいていたからか、 人影もまばらで、彼女はポツンとひとり水平線に向かい ヒザを抱え、すわっていた。 |
高志 |
どこから来てるの? …君も、大学生? 風、強いね。台風が来てるんだって… |
高志 |
私の言葉に、彼女はただ、ほほえむだけで、 何も答えてくれなかった。…しばらくして、ただ一言… |
洋子 |
洋子…。私、洋子っていうの。 |
高志 |
と、たずねてもいないのに、名前を口にした。 そんな彼女に、私はすぐに惹かれていった。 |
週末のレストラン。 |
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高志 |
それから、彼女とは、よく合うようになった。 映画を見に行ったり、美術館に行ったり、 食事を楽しんだりする、ごくありふれた恋人同志だった。 …ただ、彼女はよく肉を食べた。その細い体からは 想像もつかない食べ方であった。 量の多さは言うまでもなく、その美しく細い手で ステーキをつかみ、しなやかに口にほうばる その野蛮さはまさに芸術的でさえあったのだ。 |
洋子 |
…どうしたの?… |
高志 |
え? …いや |
洋子 |
ぼんやりして…。 |
高志 |
…。何だかさ…。また、会えるのかなって…不安になっちゃって… |
洋子 |
え?どうしてよ…。会えるわよ…。私はどこにも行かないわ…。 あなたと、ずっと一緒よ。 |
高志 |
…うん…。あ、そうだ、今度、魚料理を食べに行こう… |
洋子 |
うん…。でも、…ここでいいの…私…。ここがいいの。 |
高志 |
…そう…。 |
二人は食事をつづける |
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高志 |
その晩、私は駅まで、彼女を送った。 電車の中から手を振る彼女を見ながら、もう、こんなふうに ひとときの間、離れてしまうのさえ、耐えられなく なってしまっている自分に気づいた。 そして、夏休みも終わりに近づいたある日、私は、 彼女をホテルにさそった。 |
ホテルの一室。『カギを開ける音』ドアが開く。 |
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高志 |
…二人はベッドにすわり長い口づけをした。 耳の奥の方で、潮騒が鳴り、体中の全ての水分が 流れ出すような気がした。…すこし、めまいがした。 |
高志 |
…シャワー、あびてくるよ |
洋子 |
…ねえ… |
高志 |
うん? |
洋子 |
私…。おなかへっちゃった |
高志 |
あ、そう…。ルームサービスとる? |
洋子 |
…。あなたを食べてもいいかしら。 |
高志 |
え? |
洋子 |
…私のお母さんは…人魚なの…。 |
高志 |
え…。 |
洋子 |
お母さんが、人間の男の人と恋をして、私が生まれたの。 …私は、こんな姿のまま今まで生きてきたけど、 いつかはきっと海にもどる日が来ると思ってた。… そのためには人間の男の人を食べて海で生きてゆくことのできる 体にならなければいけないの…。 |
高志 |
私は、彼女のそのような理不尽な事情、ましてや、 人魚の生態など、納得したわけではなかったが、 反論する根拠も私にはないような気がして ただ、言われるがままに、私は彼女に食べられた。 私が、私でなくなるという不安もあったが、彼女が 例の、まぶしいぐらいの食欲で、みるみるうちに 私の体を食べ尽くしていくのを見ていると、 気が遠くなり、心地よいのだ。 |
洋子 |
(まるで同一人物のように続けて)食べ終えると、 ホテルを出た。八月の終わりの風が心地よかった。 あの海まで、タクシーをとばし、着ているものを 脱ぎ捨て、波間に身をあずけた。 私の体がどんどん海になじんでゆくのがわかった。 見あげると満月。それは、水に乱れてゆらゆらと 消えていった。 |
夜の、誰もいない海。砂浜に打ち寄せる波…。 |