第20話 (96/08/16 ON AIR) | ||
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『無限の世界』 | 作:桐口 ゆずる |
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落ち着いた雰囲気のバー 静かにジャズが流れ、時折、マスターの酒を 作る音が聞こえる。 |
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姿子 |
ジントニック。 |
靖 |
バーボン・ウイズ・ミルク。 |
姿子 |
やだ、川口君。今もそんなもの呑むの。 |
靖 |
そんなものってことないだろう。 |
姿子 |
だって。 |
靖 |
姿子、変わった。 |
姿子 |
なにが? |
靖 |
あのころは、ちょっと呑むと、ぽっと頬を染めてたって感じ だったろ。男どもはそれが艶っぽいってさ。 |
姿子 |
いやだ、そんなこと言ってたの。 |
靖 |
そりゃあ、言うよ。 |
姿子 |
10年だよ。 |
靖 |
そっか…旧友の再会に乾杯! |
姿子 |
乾杯! |
靖 |
色々あった? |
姿子 |
あったよ。ヤボなこと聞かないで。 |
靖 |
ヤボってことないだろう。大恋愛して、大失恋して、 磨いてきたんだろう、女を。 |
姿子 |
そんなに磨きがかかってる。 |
靖 |
ピカピカしてるよ。さっきも男どもは、その話題で もちきり。普通、30過ぎれば、女もやつれが 見えるだろう。赤井さんは見えないんだよなって。 |
姿子 |
川口君、いつからそんなに口がうまくなったの。 |
靖 |
そりゃあ、ちっとは世間擦れしましたよ。 |
姿子 |
川口君は変わらないと思ってたのに。 |
靖 |
10年だぜ。 |
姿子 |
結婚して何年? |
靖 |
3年。赤井さんは結婚しないの。 |
姿子 |
さあ、どうかな。 |
靖 |
失敗したな。 |
姿子 |
なにが? |
靖 |
ダメ元でも、赤井さん口説いてみるんだったな。 |
姿子 |
心にもないこと言って。 |
靖 |
いや、ホント。 |
姿子 |
じゃあ。このまま二人でどっか行っちゃおうか。 |
靖 |
またまた、そうやって人を試す。 |
姿子 |
本気だぞ。 |
靖 |
赤井さん、酔ってる? |
姿子 |
平凡な言い方しないで。 |
靖 |
あ、やっぱり酔ってる。 |
姿子 |
怒る。 |
靖 |
で、どんな男が赤井さんみたいなイイ女を泣かせたの? |
姿子 |
川口君に似た奴。 |
靖 |
またぁ… |
姿子 |
ホントだよ。とってもキザ。 |
靖 |
お願いだからさ。 |
姿子 |
奥さん可愛いんでしょ。 |
靖 |
どうだろ? |
姿子 |
無限の世界は見つかった? |
靖 |
え? |
姿子 |
無限の世界を見つけるって言ってたでしょ。 |
無音。 |
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靖 |
忘れてた。学生の頃、そんな詩を書いたことがあった。 |
姿子 |
覚えてないの?「2DKの部屋。夢も希望も文学さえも そこには無いと人は言う。でも、ボクは信じてみたいのだ。 無限の世界がつまっていることを」 |
靖 |
よく覚えてるな。 |
姿子 |
当たり前でしょ。川口君はアタシにとって詩人なの。 かっこよくもなかったし、遊び上手でもなかったけどね。 |
靖 |
ひどすぎる。 |
姿子 |
だって、ほんとだもん。で、どう?結婚して無限の 世界が感じられた? |
靖 |
さあ、どうだろう。 |
姿子 |
分からないの? アタシ、川口君の言葉、ずっと信じて きたんだよ。 |
靖 |
赤井さん、生きてて、地球が回ってるって感じられる? |
姿子 |
どういうこと? |
靖 |
所帯染みた2DKに無限の世界があるかどうか ボクには分からない。でも、仮に無限の世界が あったとして、その中にいる奴は無限の世界が 見えるんだろうか? |
姿子 |
じゃあ、あの詩は意味がなかったの? |
靖 |
そうじゃなくて。生活感のなかった青二才にこそ、 見えたってことだよ。 |
姿子 |
じゃあ、アタシはどうなるの。男と暮らしてみて、 そこには無限の世界のかけらもなくて、幻滅して 愛を捨てて。馬鹿みたいじゃない。 |
再び、無音。 |
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靖 |
ボクの言葉が彼女にそれほどの影響を与えたことが 驚きだった。気晴らしに昔の友達と軽いお喋りを しようと言うつもりが、とんでもない迷路に 迷い込みそうだ。 |
靖 |
嫁さんとね、子供をつくるかどうか、よく話をするんだ。 嫁さんはね、子供が好きじゃないらしい。でね、子供が 出来ると自分への愛が減るとか。 もし、出来た子供が可愛くなかったらどうしようとか、 色々言うわけ。 |
姿子 |
川口君は子供がほしくないの。 |
靖 |
嫁さんもボクに聞く。 |
姿子 |
で、どうなの。 |
靖 |
分からないんだ。 |
姿子 |
どうして? |
靖 |
分からないんだ。ただね、無限の世界って、そういうことのような 気がする。時々、出来ちゃったら、悩まなくてすむなって思う。 そういうイージーな生き方も馬鹿に出来ないってことが分かってきた。 |
姿子 |
それは結局子供がほしくないってことじゃない。それを 持って回った言い方してるだけ。アタシは子供を2回も おろした。もう、生めないかもしれない。だからね、 最近はフォスターペアレントになりたいって思う。 どんな子の親になるか、どんな母親になれるか 分からないけれど、子供を愛することは出来ると 思う。この気持ち、川口君に分かる? |
無音、あるいは、店とは違った雰囲気の音楽 |
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靖 |
ボクは彼女の問いに答えれなかった。調子のいい言葉で 出口を探そうとした自分があさはかで恥ずかしくもあった。 「2DKの部屋の中の無限の世界」このボクの言葉に力が あるわけじゃなかったのだ。ボクはそれ以上喋る言葉が なかった。彼女も無言でグラスを空けた。 ネオンの向こうに消える彼女を見送りながら もう会うことはない確信だけが残った。 |