第4話 (96/04/26 ON AIR)
『麺を茹でる』 作:桐口 ゆずる

フランチャイズのラーメン店
午後2時から3時ごろ
  店員 男 20代前半
  店員 女 30歳前後



えーと、味噌ラーメンで、600円いただきます。 はい、ちょうど。
レジを打つ
ありがとうございました。
客が引き戸をしめた
男はどんぶりを下げて、洗う。
店長、どうしはったんですか?
そんなきつい顔してたらお嫁にいけませんよ。
(キッとにらむ)
あ、すんません。そや、葱がたれへんから切っとこ。
葱を刻む男。
さっきウチのお父さんや。
へ?
ウチ、最近、顔みせてへんから。
はぁ…
ウチがどんな店で働いているんか、見にきはったんや。
そうやったんですか。
ウチな、ずっとお父さんのこと嫌いやってん。 20歳で家出したんも、そのせいやし…。 手止まってんで。
あ、はい。(と再び、葱を刻む)
アンタ、来年、就職やろ。
ええ。
社長に、社員にしてくれて、頼んでんねんて。
今、就職、きついでしょ。僕の大学なんか 普通の会社では相手にされへんし。
アンタ、本気で飲食やっていこうと思てんのか。
ここの店、バイトで入ってみて、面白いなて、思たんです。 がんばったら、その分給料も出るし、やりがいがあるなぁ、て。
止めとき。アンタ、この仕事向けへん。
えー、そんなん言わんといて下さいよ。
ウチ、18から10年この仕事や。色んな店で働いてきたし。 他に出来ることもなかった。 そやから、この仕事に向く人間かどうかはわかる。
ボクのどごがあかんのですか。はっきり言うて下さい。
人を見てない。
見てますよ!
アンタ、人間て面白いと思うか。
アンタ、女の子のこと死ぬほど好きになったことあるか。
ウチ、死ぬほど惚れた男の腕、千切って持ってたいと思たで。 誰にも渡したくない、これはウチのモンやて…ソイツ、あっさり 他の女に走りよったけど。
分かりますけど、それと仕事と話が違うやないですか。
人間てわがままやねん。ウチは自分のこと知ってるから、 人のこともわかる。アンタはやさしすぎる。人のえぐいとこ知らん。 汚いとこ見てない。そんなヤツは人のホントのあったかさも分からんやろ。 悪いこと言わへん、他の仕事探し。
そら、ボクかて、もっとピリッとした男になりたいと思てるんです。 そやけど、未だ若いし、店長に比べたら経験も少ないし。謙虚に 生きなあかんなと思てるんです。…店長、今朝、目腫らして 来はりましたよね。
…そやから、徹夜でビデオ見たんや。
そう店長が言いはったら、「何見はったんですか」て、ボクらヘラヘラ してるしかないやないですか。
ナマ言うんは、10年早いで。
地震の時、一緒に逃げたんやないですか。バイクの後ろでボクにしかみついている 店長がなんや、可愛らしいて、ボク、店長を守ってるような気が したんです。決心したんは、それからです。 この店で、店長について行けたらええなって。
アンタ、男やろ。男やったら、女のウチなんか、追い越したる、 ぐらいの根性ないんか。
引き戸が開く。
いらっしゃいませ。(男に)お客さんやで。
いらっしゃいませ。何しましょ。
湯が煮えたぎる。
(独白)煮えたぎる湯の中で、麺を躍らせること二分。 湯気にほのかな甘さが交じる ワタシのプライドが麺の端を摘み ワタシの勇気が水を切る スープを波立たせぬよう麺を滑らせる愛 葱をちりばめ、カウンターに丼をトン やがて 割り箸が弾かれ ズズッと麺が啜られる瞬間(とき) ワタシの幸福